本日、平成29年6月23日の新聞の読者投稿欄に、「大丈夫は?は、大嫌い」というタイトルで記事が掲載されていました。 その概略は、難病で入院時に見舞いに来てくれた知人が発する言葉で、一番いやだったのは「大丈夫?」だったと記されていました。.投稿者は見舞いに来てくれた人は「ただ傍らにいてくれて、聞くのがいい」と、強調されています。
この意見で思い出すのは、心のケアを必要とする人、現在いろいろなダメージ受け気分が低下している人に「頑張れ」「頑張ろうね」等の言葉がけが、かえって心の傷を大きくするということです。言われた側は「これ以上どうやって頑張るねん」と反論したくなります。
しかし、「ただ聞くだけ」はとても難しいことです。グチや苦しさ、悩み等々を述べられると、ついそのことにコメントをつけたり、アドバイスをしたり、「頑張れ」と言いたくなります。沈み込んでいる人には、励ましたくなります。特に先生と言われる立場に立ちますと、その性でつい教えたくなります。受容・共感を旨とするカウンセラーの立場でも似たようなことが起こります。
小学校のスクールカウンセラー時代に、休み時間を利用して相談室に3年生の女児が二人でやってきました。子どもが自主的に相談室を訪ねてくるのは珍しいことです。一人の子は応援についてきました。こもごも語るのは、誘いかけても無視する友だちへの不満でした。今に始まったのではなく相当期間続いているそうです。それに耐えられない、どうしたらいいのかが趣旨でした。応援が付いているのか良く語ってくれました。 「語ってくれたことは、よく分かった」「他者に自分の気持ちを語るのは勇気が要ること。君たちはその勇気を持っている」「君には応援してくれる友だちがいる」の3点をコメントしました。 その日の放課後、二人がにこにこしながら相談室にやってきました。教室で相手の友だちに「無視されるのは嫌。一緒に遊びたい」ことを話したら、相手にその気持ちが通じたとのことでした。勇気を持って思い切って話したのです。
困難から逃げるのではなく、立ち向かえる原動力は「自分のことを理解してくれた」「理解してくれようとしてくれた」他者の存在です。心や内面が絡んでいる問題は、方法を教えるのではありません。方法は誰しも分かっていることが多いのです。私の周辺にも、保育や教育の場面で子どもや保護者と対面している人が多いです。表面的・具体的な事柄には具体的な答えが必要ですが、時には聞くことも必要です。聞く側だけはしんどいです。聞いてもらえる他者も持つことも必要です。
とは言っても、聞くことはやはり難しいです。
臨床心理士・元スクールカウンセラー 鈴 木 隆 一
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