次から次へと自然災害が起こっています。日本は本当に災害列島だと感じるこの頃です。おそらく太古からこのように災害に見舞われ、その都度我々の先祖はお互いに助け合いながら、この窮地から立ち直ってきたことと思います。
現在は、その地域・近隣だけでなく広範囲からボランティアが組織され、災害地に派遣されています。すでにこのブログでも書きましたが、私も阪神間のある市の社会福祉協議会が募集しているボランティアに応募して、倉敷市真備町へ行ってきました。大型バス一台がほぼ満員の参加者でした。
ほとんどが、20代・30代の若い方々でした。それらの世代の人たちが参加されていることに、頼もしく感じ、派遣ボランティアの意義を一層感じました。
その反面、若干の違和感を感じました。 帰りのバス内で、参加者一人ひとり感想を述べることになりました。多くの方々が述べられた内容に「被災地に行っていろいろ勉強できてよかった」がありました。日常と違う風景に接しいろいろ体験できたことは事実です。果たして自分の経験を広げたことが、泥だしボランティアの意義だったでしょうか。被災地・被災者は、ボランティアの体験を広げるため、また勉強して貰うためにあるのではないと思います。この種の発言が蔓延したことに一つの違和感でした。何となく自己満足を感じました。言葉の綾といえますが、どれだけ自分の労働が被災地に役立ったかどうかを検証したい気持ちでした。因み、バスが出発し帰るまでに約12時間でしたが、現地での労働は80分でした。
感想の中に、「被災者の方々にどのように声かけをしたいいのか迷う」がありました。真備町は多くの犠牲者が出た地域です。今回の泥だしボランティアの先は、個人の家でしたので家や家具の被害と共に、犠牲者を出されている可能性も大いにあるわけです。行った先の個人宅も場合によればそうかも分かりません。従いまして、家人とお会いしたら、(というよりかお会いすることが多いです)どのように声かけをすればいいのか、迷って当たり前です。
しかしながら、災害で依存対象の喪失にあわれた方々、もの凄い心の傷をおわれた方々に、泥だしボランティアとして行った者が、声をかけることがいいことでしょうか。答えは否です。泥だしボランティアは、淡々と泥出しをしてその姿が無言のメッセージとして、被災者に伝わればいいのです。我々は、心のケアで行っているわけではありません。「おはようございます。時間になりましたので失礼します」レベルは当然の声かけです。また、家人の方から発信があれば、その話された範囲での応答も可能でしょう。
何となくムード的、自己満足的発言に違和感を感じました。この内容はすでに派遣担当の責任者にも発信しています。
臨床心理士・元スクールカウンセラー 鈴 木 隆 一
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