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いじめについて その3

新聞の読者投稿欄に、「いじめで死ななくて良かった」が掲載されていました。中学生時代、自殺まで考えたいじめを受けていましたが、思いとどまったのは、ある人の「いじめている人が100%悪い」の一言だったそうです。

以前にも触れましたが、時にはいじめられている側に相応の理由があるかのような発言があります。例えば、「動作が遅い」「声が小さい」等々です。場合によれば「だから、いじめられても仕方がない」と、発信しているようなものです。

私のスクールカウンセラー時代の臨床例ですが、言葉によるいじめで別室登校になっていた中学2年男子生徒がいました。その生徒は、身体的なハンディを持っていました。そのため、特徴的な行動が時々出ていました。その行動を他生徒から揶揄され辛い気持ちになっていたのです。いわゆる言葉によるいじめです。                                その行動は自分の意思に関係ないものなのです。学校では、いつも小さくなっていました。校内を移動するときにも、他生徒から見られないように、また廊下の端を歩いたりと大変気を遣っていました。その生徒と人間関係が出来た頃、その理由を尋ねたところ、「他の生徒に迷惑をかけないようにするため」と、答えました。

自分ではどうにもコントロール出来ない行動を冷やかされたり、おちょくられたりしているにかかわらず、自分が悪いから仕方がないと思っていたのです。どのような経緯で、本人がそのような考えになったのか分かりかねますが、推測できることは、いじめている側が100%悪いと、思えなかったことです。自分が悪いから仕方がないと思っていたのです。

その生徒とは、箱庭療法を媒介にして過ごしてきました。言葉による表現は不十分でしたが、箱庭の作品では、内面を適切に表現してくれました。家族のサポートもあり、不登校になることなく卒業できました。

いじめられても仕方ない、いじめられる側も悪い、というようなことは絶対ないのです。

臨床心理士 鈴木隆一

 

 

 


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