いじめについて、いじめをなくすについて、いじめ被害の子どもへの対応について等々様々な意見があります。特に、大津での中学生自殺以来、教育委員会や行政当局が力を入れ、対策が講じられています。新たな法令も作られ学校や教員、市民に示されています。
先日、市内小学校の講演会に招かれました。テーマはよくあります「発達障がいについて」でした。発達障がい児の特徴や保護者の方々のご苦労等を述べ、それぞれの対応について理解を求めます。子どもの特徴や障がいにあわせた接し方、サポートの仕方等を述べる時、果たして「ハウツーもの」をどれだけ分かっていただいても、その「ハウツー」を持続して取り組んでいただけるの、かふと疑問に思いました。方法が分かっても本腰を入れ、継続して取り組めるかどうかということです。
本腰を入れ、少々挫折(子どもへの取り組みではよくあることです)しても、継続して変わりなく続けて貰うのは方法の理解ではなく、発達障がいの子どもたちの「集団や人間関係の中での困り感」にどれだけ共感し、心の奥深くまで共鳴できるかではないかと思います。共感、共鳴感の深度が取り組みのエネルギーだと思います。
それと同じように、いじめの問題にしても、どれだけ体制や法令が整備されても、いじめ被害の子どもから訴えを聞いた大人(親や、教師)が、訴えてきた子どもの辛さにどれだけ共感し、共鳴するかによって、スピード感のある次に対策へ移れるかどうかに関係すると思います。
聞いた者が一人で抱え込むものではない、組織として取り組むはよく言われることですが、一番最初に子どもからの訴えを聞いた大人の感度が、今後の取り組みを左右するものです。
子どもは、自分の内面を言葉にして訴えるが苦手です。特にいじめ被害の子ども、立場の弱い子どもはそうです。時系列で正確に言葉にするのが苦手だ、ということも心にとめ、折角言ってくれた訴えを大事にしなければなりません。
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