このブログでも過去に何回か取り上げました。今回は、中学生を交えたいじめフォーラムに参加して感じたことを述べます。
先ず、いじめによる大きな問題が後を絶ちません。教育委員会、学校、地域でその防止のため懸命に取り組みが行われています。今回のフォーラムもその一つで、当事者側の中学生の参加が特徴でした。その中学生たちが、表面的でない洞察力のある意見がたくさん発表され力強く思われました。
典型的ないじめのビデオを見てそれについて意見が述べられました。リーダー格とそれ付随した2人計3人の加害者がいました。その3人が特定の同級生を執拗にいじめるストーリーでした。
いじめには、傍観者の立場の人間がよく登場します。このビデオでもいじめ場面が教室や登下校中ですので、同じクラスの傍観者がたくさん登場しました。
フォーラムでは、その傍観者が「いじめ加害者の行動を制止する」ことが話題になりました。多くの中学生、また過去いじめ場面を経験した大人の参加者からも「それは困難である」の意見が大多数でした。その理由は、今度は自分がいじめのターゲットになるからでした。実際のいじめ場面ではいじめを止める行動や発言をした場合、その人が今度はいじめられる被害者の立場になることが多いのも現実です。また、思春期特有の目立つことを嫌がる、俗に言う「ええかっこしい」をいやがる心理も働くものと思えます。
それらの現実から、いじめ場面では力関係等で制止できなくても、後でその被害者に対して「辛かったね」「いややったね」の声かけや寄り添いはできるのではないか、と提案したことがありました。それを聞いてくれた中学生は「それならできる」と応じてくれました。
いじめ被害者は、辛い悲しい立場にあるわけですが、何が一番辛いかというと、自分が独りぼっちだ、誰もこの辛さを分かってくれない、ということです。加害者から重たいかばんを2つも3つも持たされ肩が痛いよりか、こんな場面に置かれている辛さを、誰も分かってくれないことが一番辛いのです。誰かがこの辛さを分かってくれていることが分かれば、どんなに心強いことでしょう。
私の相談の経験で、中学校3年間仲間外れの女子生徒が、3年間も耐えることができたのは、ただ一人その辛さを分かってくれた担任の先生がいたことだ、と述懐してくれたことがありました。
いじめ場面で、割って入ることができなくても、後で被害者に寄り添うことは、ちょっとの勇気で実践できます。
臨床心理士・元スクールカウンセラー 鈴 木 隆 一
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