12月10日に京都国際会館で日本臨床心理士会主催の「心の健康・文化フォーラム」が開催されました。その中に「海に遊び森を想う子どもの未来」というテーマでの話があり。興味を持って参加しました。
演者は森里海連環という聞き慣れないジャンルで研究されている大学の教授でした。発言の中で共感できることがいくつかありました。「山登りは五感を研ぎすます」が一つでした。私もハイキング、登山は大好きでいまだに単独で出かけることが多いです。ある時、登山口のバス停から約2時間で到着できる山小屋まで歩きました。土曜日の午後大阪から特急に乗り、バス発車の駅に着いたのは夕方で、登山口から歩き始めたのは既に暗くなっていました。過去何回も歩いた道ですので迷うことは全くありません。懐中電灯を照らして歩くのですが、周辺は漆黒の闇です。大きな木が上に枝をはっています。半ば怖い気持ちを持ちながら、まさに見る、聞く、臭うの感覚を最大限に生かして前に進みました、時々、懐中電灯の明かりに反応した動物の目が光ります。
この例は極端でしょうが、人工音が聞こえない自然の中では、日常聞き慣れない、見慣れない、匂い慣れないものが沢山あります。これらを感じ、初めての経験に用心して自分の安全を確認しなければなりません。この過程の中で人間が本来持っている五感が表に出るのではないでしょうか。これはまた、人間らしさ、子どもらしさを取り戻すことにつながります。
「世界中の浜辺で子どもが遊んでいるのに、日本では遊んでいない」の発言もありました。この浜辺を川、里山等に変えても言えることです。演者は学校や地域、親がルールとして禁止している問題も投げかけていました。怪我、命が一番重要なこと言うまでもありませんが、現在はあまりにも人工化された空間でしか遊んでいません。これも経験ですが、六甲の山中には池があります.私が小さい頃には、大人がスケート靴を持って登っていました。その池の端で休憩している時、子どもたちが一番夢中になっていたのは、池に入って遊ぶことと、飯ごう炊さんした後の残り火でたき火をしていたことです。その子どものグループには大人のリーダーがいました。危ない、火事になるの小言で禁止するでなく、安全を確認しながら見守っていました。その横では別の子どもグループが、持ってきたバトミントンの道具で遊んでいましたが、どちらが五感を研ぎ澄ますのか、どちらが本来の子どもらしい遊びかは、言うまでもありません。
海遊び山遊び川遊びには、十分な安全を確保しなければなりませんが、その中で子ども自身が危険を察知し、安全を確保する力が芽生えます。大変難しい課題ですが、もの凄い自然の中に行かなくても、身近にある自然も利用したいものです。