ぎゃらりー鈴ブログ>

一緒に子育て 3

大津市の中学校で起こったいじめ事件が、毎日取り上げられています。またかと、いう感じです。関係者の感度の鈍さが今回も気になります。子どもが自殺するということは、もうそれしか選択の余地が残されていなかったからです。そこまでの心理に至ったことを考えると、痛ましさといじらしさを感じます。残された遺族は我慢のならないほどの辛さでしょう。

加害者側の言い逃れとして「遊び」、ということがよくあります。今回もその発言でそれ以上追求しなかったような報道があります。それでは被害者側の生徒にも「君も遊びだったの?」と、なんで聞いてやれなかったのでしょう。加害者側の生徒が居る前で聞いても、本心は言いませんので、別の場所を設定する必要がもちろんあります。被害者側の生徒を「絶対に守るからね」と、いう強い信念で対応しないと、仕返しを恐れて事実を言いません。さらに必要なのは、被害者側の生徒からなにがしかを聞き出したら、疑うことなく「絶対に守る」と、いう約束をしたわけですから、関係者はすぐ行動を起こすことです。                         よく「なんでそんな目に遭わされているのに、先生や親に訴えないのか」と、いう疑問が聞かれますが、過去訴えたのに何もしてもらえなかった。それどころか仕返しをされた経験をよく持っています。

もう一つ大人側の気になる考えとして、今のところ報道はされていませんが、「あの子はあんなんやから、いじめられるても仕方がない」と、いうように被害者側の生徒に責任を転嫁するようなこともあります。そういう風潮が大勢を占めますと、いじめは日常性になります。

私の臨床経験で、中学校時代クラス中から疎外されていた女子生徒が、3年間不登校にならず卒業できたのは「たった一人だったが、いつも自分を気にしてくれ味方になってくれた先生がいたから」と、発言しました。                                        この男子生徒には、そのように感じさせる大人が身近にいなかったのでしょうか。       人は、人によって傷つけられますが、人によって癒やされます。


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