今回のみだしの言葉は、 中井政嗣さん の言葉です。中井さんは、お好み焼き専門店「千房」を全国規模で経営されています。そのお好み焼き屋さんに、少年院を退院した保護観察中の少年を従業員として雇用されています。
少年院や刑務所を出て、折角社会生活をしても再犯をくり返す人たちが多くいます。このことはマスコミ等でも取り上げられ法務省や関係官庁でも大きな課題になっています。
再犯の原因はいろいろありますが、その一番は仕事がないことです。無職者は、有職者の5倍もの再犯率になっていると言われています。従いまして、いかにして就労するか、就労が継続するかが、これら人たちの更生の大きなポイントです。
その観点の元、法務省や地方自治体が雇用に動いています。中井さんは民間の立場で、すでに継続してこれら人たちを雇用され、社会貢献をされています。
その中井さんの言葉に、「愛情は、相手に関心を示すことである」があります。私は、保護司としてこれら少年や、刑務所を仮出所した人たちと日常的に接していますが、この中井さんの言葉が「その通りや」、と思われるA少年がいました。A君は、中3の時暴力事件を起こし、家庭裁判所で保護観察処分の審判が出ました。私が担当保護司に指名されました。
彼は、在学中も学校で喫煙、怠学、遅刻等で生徒指導上いつも話題にのぼる生徒でした。A君との何回目かの面接で、「中3のとき、授業をサボって友人数人と廊下たむろしているのに、通りすがりの先生は何もゆうてくれへんかった」と話してくれたことがありました。先生方からすれば、どうせ注意しても聞いてくれないどころか、反抗されるとの懸念だったでしょう。彼のこの発言は、無視される、すなわち関心を示してくれない寂しさを表しています。 怒られる、注意されるというマイナスのメッセージであっても、無視・無関心は寂しかったのでしょう。
勉強も苦手で、部活も途中で退部し、誉められることも少なく、どちらかといえば注意されることの方が圧倒的に多かった中学校時代でした。、すなわち自尊感情が育たず、自己否定感ばかりだったことが想像できます。そのA君が卒業と同時に建築業の下働きとして就労しました。身体は大きく力もある彼が、その仕事ぶりを親方から誉められた、と嬉しそうに報告してくれたことがありました。誉められることが少なかったA君でしたが、仕事という居場所を実感し、そこで自分の存在感を見出したのです。A君は、その後も仕事に生きがいにして就労も継続し、再犯の心配もなく保護観察は良好解除になりました。
中井さんのことばで、A君のことを思い出しました。愛情という抽象的なことばを具体化すると「関心を示す」ことだ、とA君の発言で実感しました。、A君のことは、相当以前のケースですが、個人が特定されないよう事実関係を若干変更しています。
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臨床心理士・元スクールカウンセラー 鈴 木 隆 一