一学期の末、ある中学校で全校生徒への講話の機会をいただきました。テーマは「いじめについて」でした。学校も保護者、社会も緊急な問題です。教育委員会学校もいろいろな機会を利用してその防止についてアピールをしています。勿論、学校では生徒への指導も怠ってはいません。
しかし、深刻な問題、事案はくり返して起こっています。頻度高く子どもたちは指導、講話を受けています。そのうえでの部外者の講話ですので、内容には大変苦労します。
先ず、聞いてくれた生徒の感想文を紹介します。
感想文その1 「先生の話を聞いて、災害の時当たり前だと思っていたことが、外国の人にとっては、すごいことなんだと思った。正直、はじめはいじめとは関係ないんじゃないのかな、と思ったけれど、話の最後には今までの話は全部関係していたんだと気がついた。今まで、いじめの話は何度も聞いてきたけど、一番グッときました。この話を参考にいじめをなくしたいと思いました」
感想文その2 「いじめはまだ見たことがない私は、その場で本人に声をかけないと意味がないと思い込んでいて、その後そっと声をかけてあげるだけで本人はずいぶん違うんだと初めて知りました。確かに私がいじめられていたら、一言声を友だちからかけられたら、とてもすくわれると思います。今までたくさん道徳でいじめについて考えましたが、こういった部類のもは初めてでした」
このような感想が返ってくると、話しがいがあるというものです。若干補足をします。このようなテーマで、生徒たちは過去何回も指導を受け、話を聞いていますので、違った切り込みをしないと、「またか」の感想しか残りません。それに、テーマがテーマだけに、重苦しい雰囲気と閉塞感を感じることが多いと思います。私はその反対の明るい気持ち、「やったら、出来るかもしれない」が残るように心がけます。
感想文1は、震災時に日本人は秩序と理性を保ち、助け合い他者を思いやる行動がとれたこと、それらが外国のメディアでも賞賛を持って報道をされたこと等を紹介します。日本の文化で育った君たちにも、いざというときには、そのような行動が必ずとれること、潜在力があることを示唆します。
感想文2は、困難でハードルの高いゴールを求めるのではなく、ちょっとの勇気で出来そうなことがあることを話します。いじめの現場でその行動を止めたり、介入することは大変難しいです。「ええかっこしい」と冷やかされたり、いじめ被害の立場にもなる可能性があります。多くの子どもは、現場での介入は難しいと思っています。誰もいないところで、被害に遭った友人に声をかけることなら出来ること、声をかけて貰えばものすごく気持ちが楽になることを示唆します。
聞いて重苦しい気持ちを残さないよう、ひょっとして自分も出来ること、また、今できなくてもその潜在力が自分にもあることを、理解して貰える話を心がけています。
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臨床心理士・元スクールカウンセラー 鈴 木 隆 一