見出しのことは、子育て講演会等でよく受ける質問の一つです。幼稚園では確り返事が出来たり、着替えも早いのに、家では返事もええ加減で朝の着替えもぐずぐずして、つい大きな声で叱ってしまう。幼稚園児だけでなく大きくなっても、親は同じ悩みを持つようです。
私の近所に高校生の娘さんがおり、朝夕出会う度にちゃんと挨拶してくれ、清々しい気分になります。近所で挨拶も少ない中で本当に嬉しくなります。ある日、そのお父さんにお会いする機会があり、そのことを伝え誉めましたところ、お父さんの言うことは「先生、家ではさっぱりものも言いませんね」、とおっしゃいました。私は「外でそんだけ出来ている分、家では甘えているんですよ」「外で出来ているのだから、いずれ家でも出来ますよ」、と返事をしておきました。
それで、思い出すことがあります。教育相談をしている頃のケースです。小学校女子1年生の不登校の相談でした。その子は、1年生ですが家でお米を研いで、ご飯を炊くお手伝いをしています。年齢以上のお手伝いという印象がありました。ご飯炊きのほかにもさまざまなお手伝いがありました。お母さんは、ハードな仕事をされており、仕事人の自覚が高くいわゆるプロ意識の高い人でした。
その自分のポリシーを子どもさんにも求め、しつけの基準にされておられました。それらお手伝いが出来て当然、というお考えでした。従って、出来ても誉めてもらえることもなく、まして甘えることもなかったように覚えています。彼女の心の不充足感、甘えたいのに甘えられない分を不登校という形で訴えた、と考えました。
カウンセリングの中で、お母さんのその意識も肯定しつつ、子どもさんの心情も理解してもらうことで、徐々に学校復帰も出来るようになりました。
早い自立を求める中で、子どもに必要な依存(甘える)が、不足することがあります。自立には依存が必要です。自立と依存・甘えは矛盾するものでは決してありません。