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カテゴリー: 一緒に子育て

一緒に子育て 60 中学生への講話から 「進路を考える」

昨年12月、市内のある中学校3年生への講話を依頼されました。大人が相手でなく、約50分を集中して聞いて貰うためいつも苦慮します。それも体育館の床に座ったままですので、聞く方も大変だと思います。学校側が私に求める内容は、定期テストも終了しこれから本格的に進路を考えなければならない、という時期で生徒もいろいろストレスを感じているので、気持ちが落ち着き、前抜きに進路を考えるような話、ということでした。

私にとれば、言うは易く行うは難しの例えの通り内容です。たまたま依頼された時期にテレビを見ていますと、ウズベキスタンの女性が、お墓を掃除している映像が映りました。そのお墓は、第二次対戦で、当時のソ連に捕虜になり、強制労働で死去した日本兵のお墓でした。当時はウズベキスタンもソ連の国でした。

その女性に対しての取材の中で、とても興味深いものがありました。その女性は自分の祖母、母親とお墓の掃除を代々続けているそうです。確かにきれいに保たれていました。その女性の言うことは、祖母、母親から受け継いでいるそうです。

何で現地の人がそのように受け継いでまで掃除をするのか、というこですが捕虜の身で働く日本人の真面目さや、手を抜かない仕事ぶりに当時のウズベキスタンの人々は、感銘を受けたそうです。強制労働で完成させたのは、ナヴォイ劇場という名前でソ連国内でも指折りの劇場だったそうです。

首都タシケントにありますが、完成して何年後かに大地震に見舞われましたが、多くの建物が崩壊する中で、その劇場は被害がありませんでした。震災被害を受けた人々の避難所として貴重な建物になりました。多くの建物が壊れる中、日本人捕虜が建設した劇場が無事だったのです。それだけ丁寧に建てられたことを、改めてウズベキスタンの方々は感心されたと言うことです。ウズベキスタンの人々が自分の子どもに、「日本人のように真面目になりなさい」、といって子育てをするそうです。

私は、そのエピソードを織り交ぜて生徒に話をしました。このようなエピソードを交えるのは、聞く側に「閉塞感」より「開放感」を持つこと、君たち日本人、日本の文化で育った者は、先人が作り上げた業績を受け継いでいること、これらがいざという時に力が発揮されることを強調するためです。

講話を聞いてくれた生徒の感想文を紹介します。

鈴木さんのお話で、私の知らなかった日本人のすばらしい行為を学ぶことが出来ました。これからの未来を創っていく私たちに、先人のような行為が出来るのか、と考えると少し不安になります。今は思春期の私たちも、この人生の岐路呼ばれる今を、親にうざいとか嫌だとか思う時もあるけれど、ちゃんと自分のことは自分で考え、自立(自律)する大人になり、これからの社会、これからの未来、これからの日本を創る人になっていきたいです。とても充実した時間でした。有り難うございました。

このような感想文に接すると話しがいがあるというものです。私からも有り難うといいたいくらいです。


一緒に子育て 59 子どもの時間

時間は、大人も子どもも同じように流れますが、流れる速さ、遅さは違うのではないでしょうか。このようなことを強く感じるのは、以前勤めていた特別支援学校(当時養護学校)での経験があります。養護学校には、今でもそうでしょうが外部から参観者がよくあります。啓発の意味からも交流の意味からも、支障のない限り受け入れていました。

ある時、大人の方々の参観がありました。参観前の説明、参観後の意見交換や感想をお聞きすることもあります。その感想の中で多くの人が述べるのは「養護学校では、時間がゆっくり流れている」でした。外部から見たら、そのことがとても印象的であるようでした。

学校の何を見てそう感じられるのでしょうか。私が一番そのように感じるのは、子どもと教師のやりとり、コミュニケーションではないかと思います。コミュニケーションは、一方の側からの投げかけをもう一方が聴いて、その内容を理解して自分の考えや感想を表明して成り立ちます。ハンディのある子どもは、理解力表現力等が十分でなく、また語彙力も劣りますので、当然やりとりのスピードも遅くなります。

従いまして、大人はそれにあわせてゆっくりしなければ、コミュニケーションが成り立ちません。この他にも、子どもたちが外部の事象を視覚で捉える力も気になります。例えば、車から外の景色を見てそれを捉え理解するのと、歩いて捉えるのでは大きな差があります。歩いて捉える方が、明らかに正確に捉えることが出来ます。視覚で捉える力速さが成長すれば、車からでも十分でしょうが、その力が不十分なら車のスピードは速すぎます。

さて、これらのことはハンディのある子どもだけにいえることでしょうか。どんな子どもでも、聴く力、理解する力、感じる力、まとめる力、表現する力や速さをまちまちではあるはずです。私たちはコミュニケーションをする時、相手、子どものそれぞれの速さ、力を考慮しなければ、一方的に言葉をたたみかけるだけになるのではないでしょうか。子どものゆっくりした返答にイライラして、更にたたみかけるのでは、一層子どもを混乱に陥れます。実際このような場面をよく見かけます。

もう一呼吸間を置いて、子どもからの返球を待ちたいものです。


一緒に子育て 58 外ではいい子なのに、家では甘える

見出しのことは、子育て講演会等でよく受ける質問の一つです。幼稚園では確り返事が出来たり、着替えも早いのに、家では返事もええ加減で朝の着替えもぐずぐずして、つい大きな声で叱ってしまう。幼稚園児だけでなく大きくなっても、親は同じ悩みを持つようです。

私の近所に高校生の娘さんがおり、朝夕出会う度にちゃんと挨拶してくれ、清々しい気分になります。近所で挨拶も少ない中で本当に嬉しくなります。ある日、そのお父さんにお会いする機会があり、そのことを伝え誉めましたところ、お父さんの言うことは「先生、家ではさっぱりものも言いませんね」、とおっしゃいました。私は「外でそんだけ出来ている分、家では甘えているんですよ」「外で出来ているのだから、いずれ家でも出来ますよ」、と返事をしておきました。

それで、思い出すことがあります。教育相談をしている頃のケースです。小学校女子1年生の不登校の相談でした。その子は、1年生ですが家でお米を研いで、ご飯を炊くお手伝いをしています。年齢以上のお手伝いという印象がありました。ご飯炊きのほかにもさまざまなお手伝いがありました。お母さんは、ハードな仕事をされており、仕事人の自覚が高くいわゆるプロ意識の高い人でした。

その自分のポリシーを子どもさんにも求め、しつけの基準にされておられました。それらお手伝いが出来て当然、というお考えでした。従って、出来ても誉めてもらえることもなく、まして甘えることもなかったように覚えています。彼女の心の不充足感、甘えたいのに甘えられない分を不登校という形で訴えた、と考えました。

カウンセリングの中で、お母さんのその意識も肯定しつつ、子どもさんの心情も理解してもらうことで、徐々に学校復帰も出来るようになりました。

早い自立を求める中で、子どもに必要な依存(甘える)が、不足することがあります。自立には依存が必要です。自立と依存・甘えは矛盾するものでは決してありません。


一緒に子育て57 番外 御岳山噴火

日本は自然災害の多い国です。改めてそのことを思い知らされましたのが、9月末の御嶽山の噴火です。思い出すだけでも、広島の水害、兵庫県丹波や福知山の水害、近くでは長野県の地震と続いています。

御嶽山は、標高3067m、日本では数少ない3000mを越えた山で、登山や行楽に昔から人気の山です。夏には高山植物が咲き、雷鳥も姿を見せます。噴火した9月27日は、紅葉が見頃で、天気も穏やかで多くの登山者がいました。                          3000mを越えているといいながら、標高2180mまで車で行けるため、雪がつかない季節は今回のように多くの登山者が訪れます。夏でも、窪地には雪が溶けずに残り、流れ出る水は冷たく美味しいです。

実は私も過去7回登りました。単独が多いですが、登山の初心者を連れて行くことも何回かありました。冬もアイゼンとピッケルを使い登りました。従いまして、今回の噴火で多くの被害者が出たのも人ごとには思えません。報道される場所、王滝頂上、八丁ダルミ、剣が峰、それぞれの山小屋も鮮明に思い出されます。「山にいた人たちは、怖かったやろな」、「逃げるのに必死やったやろな」、と身が震えます。迫ってくる噴煙と噴石から、足元の悪い登山道を逃げるのです。

そんな中で、子どもや怪我をした人を思いやり、助け合いながら逃げたことが報道されました。また、自分のジャケットを寒がっている女の子に、貸し与え着せてあげた26歳の男性もいます。残念ながら、二人とも遺体で発見されました。                           天候が良ければ、昼間は軽い服装で過ごせますが、太陽が沈みますと、気温がグッと下がります。高い山で一番辛いのは寒さです。こんな状況では、自分のことで精一杯のはずです。私ならそんなことができたかなぁ、と思います。

大きな災害の度に、他者に感銘を与える当事者の話が、よく報道されますが今回もそのようなエピソードがありました。

残されたご遺族は、美談や感銘というとらえ方は出来ません。心からご冥福をお祈りいたします。また、来春雪が溶けたら再開される捜索で、行方不明の方々が一日も早くご遺族の元に帰られることを願います。


一緒に子育て 56 中学生への講話「いじめについて」その2 生徒からの質問 

先日の講話に対して生徒から感想文が寄せられ、そのいくつかを前回紹介しましたが、その中に私への質問もありました。今回はそのことに触れたいと思います。私は講話、講演等で書面で質問をいただいたら、必ず本人宛に書面で返事を書いて送ります。

質問1 2年生女子生徒「鈴木先生は、いじめられたら話しやすい友だちに聞いてもらって下さい。すごく楽になる、とおっしゃったけど、私は同じいじめられた状況にならないと、いじめられている人の気持ちは分からないと思います。もう少し詳しく教えて下さい」でした。

質問1への返事 この女子生徒は感性の豊かな持ち主です。返答に困る鋭い質問です。次のように答えました。「そうですね、同じ立場に立つと一番分かりやすいのは勿論です。従って、いじめの辛さも被害経験者が一番分かってくれるでしょう。しかし、もし君ならいじめ被害経験がなくても、いじめられている辛さを分かってあげようと、努力するはずです。100%分かるのは不可能かもしれませんが、訴えてきた友だちは一生懸命聞いてくれ、分かろうと努力してくれるくれる君に対して、感謝するはずです。うれしいと思ってくれるはずです。その結果気持ちが随分楽になるはずです」、と答えました。「友だちに話す」ことを勧めますのは、親や、先生には言いにくい中学生が多いからです。従って、友人に聞いて貰うことが一番手近です。「ピア・サポート」という言葉で説明します。場合によれば、先生や親のような大人に分かって貰うより、一番楽になるかも分かりません。

質問2 2年生女子生徒「いじめとおちょくりの差がよく分かりません」でした。

質問2への返事 私たち大人も、いじめ被害を訴えてきた子どもに、たいしたことはではない、それは遊び、からかいや、と返事することがあります。この返事ぐらい訴えてきた子どもの心と離れているものはありません。子ども同士の会話にもあるでしょう。私は次のように返事を書きました。「いじめではなく、遊びやからかい・おちょくりや、という会話がよくありますね。そう言われると本当にそうなのか、と思ってしまいますね。しかし、その判断は、おちょくられている、からかわれている人がするものです。その人が辛い気持ちやいやな気持ちになり、これはかなわんな、と思えばいじめになります。おちょくりやからかいも、対等な立場で行われているならまだしも、一人が複数の友人からされていたり、何回も執拗にくり返されるなら、明らかにいじめでと判断できます」、と答えました。

皆さんはどのような返事を書かれるでしょうか。

ご意見、感想、質問がございましたら、HOMEのコンタクトか、お問い合わせから送信して下さい。

臨床心理士・元スクールカウンセラー  鈴 木 隆 一


一緒に子育て 55 中学生への講話「いじめについて」から

一学期の末、ある中学校で全校生徒への講話の機会をいただきました。テーマは「いじめについて」でした。学校も保護者、社会も緊急な問題です。教育委員会学校もいろいろな機会を利用してその防止についてアピールをしています。勿論、学校では生徒への指導も怠ってはいません。

しかし、深刻な問題、事案はくり返して起こっています。頻度高く子どもたちは指導、講話を受けています。そのうえでの部外者の講話ですので、内容には大変苦労します。

先ず、聞いてくれた生徒の感想文を紹介します。

感想文その1                                                「先生の話を聞いて、災害の時当たり前だと思っていたことが、外国の人にとっては、すごいことなんだと思った。正直、はじめはいじめとは関係ないんじゃないのかな、と思ったけれど、話の最後には今までの話は全部関係していたんだと気がついた。今まで、いじめの話は何度も聞いてきたけど、一番グッときました。この話を参考にいじめをなくしたいと思いました」

感想文その2                                                 「いじめはまだ見たことがない私は、その場で本人に声をかけないと意味がないと思い込んでいて、その後そっと声をかけてあげるだけで本人はずいぶん違うんだと初めて知りました。確かに私がいじめられていたら、一言声を友だちからかけられたら、とてもすくわれると思います。今までたくさん道徳でいじめについて考えましたが、こういった部類のもは初めてでした」

このような感想が返ってくると、話しがいがあるというものです。若干補足をします。このようなテーマで、生徒たちは過去何回も指導を受け、話を聞いていますので、違った切り込みをしないと、「またか」の感想しか残りません。それに、テーマがテーマだけに、重苦しい雰囲気と閉塞感を感じることが多いと思います。私はその反対の明るい気持ち、「やったら、出来るかもしれない」が残るように心がけます。

感想文1は、震災時に日本人は秩序と理性を保ち、助け合い他者を思いやる行動がとれたこと、それらが外国のメディアでも賞賛を持って報道をされたこと等を紹介します。日本の文化で育った君たちにも、いざというときには、そのような行動が必ずとれること、潜在力があることを示唆します。

感想文2は、困難でハードルの高いゴールを求めるのではなく、ちょっとの勇気で出来そうなことがあることを話します。いじめの現場でその行動を止めたり、介入することは大変難しいです。「ええかっこしい」と冷やかされたり、いじめ被害の立場にもなる可能性があります。多くの子どもは、現場での介入は難しいと思っています。誰もいないところで、被害に遭った友人に声をかけることなら出来ること、声をかけて貰えばものすごく気持ちが楽になることを示唆します。

聞いて重苦しい気持ちを残さないよう、ひょっとして自分も出来ること、また、今できなくてもその潜在力が自分にもあることを、理解して貰える話を心がけています。

ご意見、感想、質問がございましたら、HOMEのコンタクトかお問い合わせから送信して下さい。

臨床心理士・元スクールカウンセラー  鈴 木 隆 一


一緒に子育て 54 発達障害についてその2 続非行犯罪との関連

私は保護司として、様々なケースを担当します。その中で対象者が発達障害の事例が稀にあります。前回紹介しましたのは、二次障害的に非行に陥った少年でした。発達障害が早期に判明しており、周りがそれの応じて配慮(教育、しつけ等)できれば、少年院送致までいかなかった、と判断得きる事例でした。

今回は、22歳青年の事例を紹介し、発達障害の理解につなげたいとお思います。申すまでもありませんが、本人と特定できないようにアレンジをしておりますし、相当以前に終結になった事例です。

彼は、同僚とのケンカで相手に傷を負わせて懲役刑を受けました。満期を3ヶ月残して仮釈放になり、3ヶ月間の保護観察を私が担当しました。在監中から受け入れ先の両親宅へ何回か訪問しました。そのときの印象は、理解しにくい自分の息子を持て余している感じを受けました。本人は身体が大きく、両親への反抗の言動は、怖さを感じさせていたようです。特に父親は、おどおどしていたようです。真面目で温和しいなお父さんで無理はないと思いました。

両親からお聞きする彼のエピソードは、言われたこと、守らなければならないこと等について、度が過ぎるほど真面目に取り組んだことが、いろいろありました。例えば、中学生時代、部活に所属していた時、コーチから指示されたトレーニングを一生懸命にやり過ぎて、ある関節を痛めました。治りきらないうちに再開するものですから、大きなダメージを受けました。

親のアドバイスや医者の注意も聞き入れません。こうだとお思えば、徹底的に突き進む感じです。彼の場合もこの年令になるまで、発達障害と言われたこともありませんでした。それまでに相談診察も受けておりませんので、発達障害と決めつけられませんが、私の経験から、その疑いは十分にあります。

ルールや約束事に対して、臨機応変に対処するのではなく、どんな場合でも必ず守らなければの生き方は、本人も辛かったでしょうし、集団生活の中で周りも違和感を感じたことでしょう。

広汎性発達障害の特徴の一つに、このような傾向があります。物事に集中的に取り組めるプラスの裏側に固苦しさ、こだわりがあります。周りから理解されずに彼も集団生活では、居りにくさを感じていたことでしょう。家族も理解しにくい言動でした。

3ヶ月間というわずかな付き合いでしたが、保護観察で決められた約束事は、真面目に守ってくれ、無事刑期を終了しました。月二回の面接では、共感的態度で接しました。

通常、保護観察終了後、担当保護司に連絡は滅多にありませんが、彼は数度相談の電話がありました。母親からの連絡では、理解ある上司の下、何とか仕事が続いているとのことでした。

そうです、理解あるサポートしてくれる人間が必要なのです。

ご意見、感想、質問がございましたら、HOMEのコンタクトかお問い合わせから送信して下さい。

臨床心理士・元スクールカウンセラー  鈴 木 隆 一


一緒に子育て 53 発達障害についてその1 非行・犯罪との関係

学校教育でも、従来の名称から特別支援教育になって随分と年月が経ちました。この名称の変化は、発達障害の児童生徒を支援出来やすくするためです。その前後から、発達障害の理解促進の様々な手段取られてきました。従いまして、当初から比べればその理解も進んできましたが、まだまだ誤解や偏見も見受けられます。

その一つが、非行や犯罪との関係です、最近は新聞の事件報道でアスペルガーや発達障害の大きな見出しはなくなりましたが、以前はそうではありませんでした。我が子が小学校入学する時「あの○○事件と起こした子と同じですね」、と言われ悩んだり、自分の子どもも大きくなったら犯罪者になりはしないか、と心配になった保護者の方々がおられました。

先日、発達障害に理解に関する講演会に招かれました。フロアからの質問で非行との関係を聞かれました。私は、保護司をしておりまして、家庭裁判所で保護観察の処分を受けた子どもや、少年院仮退院をした子どもと付き合うことがあります。多くの対象者の中で、過去2例発達障害の事例がありました。

相当以前に良好解除で終了したケースを、多少アレンジして説明しました。担当時は、中学校卒業した時でした。男子でしたが、3年生の時、家出外泊、万引きををくり返し少年院送致の処分を受けました。彼が、発達障害と分かったのは、警察に捕まり鑑別所に収容された時でした。鑑別所では専門家が心理判定等をしますので、その時にアスペルガーと診断されました。

と言うことは、それまでアスペルガーと分からず、家族も周り、特に小中学校時代の担任も何の配慮もなく彼と付き合っていたのでした。発達障害の子どもたちとの付き合いで「本人が変わるのでなく、先ず周りが変わらなければならない」、と言われる言葉があるくらいです。

彼は、小中学校時代、家庭や学校でどれぐらい暮らし辛かったでしょうか。叱責や、注意ばっかりではなかったでしょうか。「何処にも居場所がなかった」の言葉通りだった思います。

家にも学校にも居場所がなく、居場所を求め深夜徘徊をくり返したと思います。少年院在院中の面接でのやりとり、彼からの手紙等にも明らかに「字義通り」解釈するという、彼ら特有のコミュニケーションが顕著でした。そのことからも、過去に相当困難なコミュニケーションの場面をくり返し、「分からない」 、「分かってもらえない」ことが多かったことが分かります。

仮退院を迎えるに当たって、引受人の保護者には、丁寧に彼のことを説明しました。幸い知的には高い能力を持っており、高校の成績はクラスでトップレベルでした。私はそのことをいつも高く評価し、いわゆる自己肯定感を高めることに努めました。

一番気になる学校での友人関係のことを質問しました。「適当に付き合っている」「深い話題には入らない」、との返事でした。融通が利かない、要領が悪い彼ら特有の持ち味で、友人関係も困ることが多いですが、この返事には感心しました。アスペルガーの基本は除去できないにしても、自分に自信が持てれば、このように適当に処することが出来るのです。

私は、彼の非行傾向は二次障害と理解します。もし、幼い頃から周りが配慮し、得意な面を伸ばし、困った場面ではほんの少しのサポートがあれば、集団生活、家族生活にもそれなりに適応していたものと思います。

元々持っていたハンディに加え、二次的に問題を起こさないようにするのは、とても大事なことです。


一緒に子育て 52 人間歩けるもんや 歩き遍路 3

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写真は、60番札所横峰寺からの下りの道です。下りと表現しましたが、横峰寺は標高745mにあり、まるで登山です。季節のよりますが、この道を歩いた4月27日はこのように山ツツジがきれいに咲いていました。とても快適な歩きができました。

前回触れましたが、今回の遍路では多くの外国人遍路さんに出会ったり、同じ宿になりました。彼らは何に惹かれて歩いているのでしょうか。私たちが日常接する日本の事象や文化は、彼らから見れば魅力の対象なのでしょうか。それにしても、毎日街、山、田園の道を黙々と30k前後を歩くだけなのです。

以前、白人女性一人の遍路さんに出会ったことがありました。そのときにも思いましたが、「日本は安全な国なんやなぁ」と改めて感じました。そういえば、アメリカの男子高校生がホームスティで我が家に滞在したことがありましが、本国での事前研修で、日本は世界一安全な国、と教えてもらい来日したそうです。日本人も外国人も男性も女性も、一人で歩いて大丈夫な国を誇りに思いたいものです。

遍路道は、里山、中山間地といわれるところ歩くことが多いです。日本どこでもそうですが、人口減少、労働力不足で山林、畑が荒れたり、放棄されているのをよく見かけます。今回は、ミカンの産地愛媛を歩きました、ミカン畑がツタに覆われたままになっているのに出会いました。先祖から引き継ぎ大事にしていたのに、そうならざるを得なかった耕作者の方を思うと、胸が痛む思いをしました。

秋になったら、65番札所三角寺から再度スタートします。


一緒に子育て 51 人間、歩けるもんや 歩き遍路 2

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前回の最後の文章で、「外国人のお遍路さんに触れたいと思います」のお遍路さんの部分が間違っていたことをお詫びします。

写真は愛媛県今治市の55番札所南光坊です。ろうそくを立てている男性は、イタリアから来た男性です。彼がイタリア人であること、名前がPAOLOであることが分かったのは、その日に泊まった宿で彼と一緒になってからです。この宿は、全くの日本式の歩きお遍路さんようの民宿風宿です。偶然ですが、この宿で2日前一緒だったフランスの若者とも同宿になりました。宿の女将さんは、私が通訳で一緒に歩いているのかと勘違いしました。因みにこの宿では私含めて3人、2日前にの宿ではフランス若者と私の2人だけの宿泊でした。

南光坊に戻ります。札所に着きますと、手を清めて本堂、大師堂にお参りします。お線香とろうそくをお供えし自分の札を納札し、般若心経をとなえます。それが終わって納経所へ行きます。PAOLOは、この手順を忠実に守っています。覚束ない発音で般若心経を読んでいました。バスでツアーの団体遍路と一緒になるような時には、私はこの手順を省略する時もあります。といいますのは、バス添乗員が大きなかばんに入れた、大量の納経帳や掛け軸を納経所に持ち込み、それに出くわすと自分の番になるまで長い時間待たなければなりません。時には、気を利かせてくれる添乗員がおられ、歩き遍路だと分かると「どうぞ」、言ってくれることもあります。

今回、6日7泊で歩き遍路さんと出会ったのは12人ぐらいでした。宿や札所で一緒になったり、歩いている時や休憩している時出会ったりします。そのうち、外国人歩き遍路さんは5人もいました。中には女性もいました。彼ら彼女らは、私たちが持っている歩き遍路用の英語版ガイドブックを持っています。私もそれが頼りですが、時には不安になることもしばしばあり、地元の人に道を確認することもあります。間違いを教えてくれることもあります。遍路道には遍路マークのシールが貼られていますのでそれを頼りに歩きます。

同宿になった2人の外国人遍路さんは、日本語もほんの片言でした。宿も全くの日本式です。そんな状況で歩くことに本当に感心しました。宿の女将さんとは手振り身振りでやりとりをしていました。私も一人で歩きですが、今回会った外国人5人は、2人連れが一組でしたが、3人は一人歩きでした。苦労もあるでしょうが、それ以上に四国歩き遍路に大きな魅力を感じてくれているのでしょう。

過去にも、外国人歩き遍路さんには時々出会ったことがありましたが、今回のようなことは初めてでした。1番札所から88番札所まで、総距離は1400kmあるそうです。通しで歩くと、40日から50日かかるといわれています。無事に歩き通すことを心から願っています。


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