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カテゴリー: 一緒に子育て

一緒に子育て40 常識の嘘シリーズ5 「誰とでも仲よくせんと、あかんのか」

学校から子どもが帰ってきました。「お母ちゃん、今日学校でA君が僕にいじわるしてきてな、ほんまにいややった。A君と遊ぶのもういやや」、と訴えてきました。

さて、親としてどんな返事、対応をするでしょうか。こんなことを言いそうです。「なに言うてんの。そんなことぐらいでいやがっとったら、友だちが少なくなっていくよ。少しぐらい我慢して、誰とでも仲よくしなさい」

実際こんな場面は少ないかもしれませんが、日常的に、常識的に「友だちは大事やから、誰とでも仲よくすること」、が正しいと思ったり、つい言ったりしませんか。

以前、「ストレス」がテーマで、学校職員の研修会に招かれたことがありました。集団や職場でのストレスの大きな要因は、同僚との人間関係です。職場ですから仕事上の関係まで断つことは出来ませんが、しんどい相手とはそこまでの関係に止め、それ以上は適当にいなしたり、避けることの大事さを強調しました。相手を怒らせたりしないで、気分を害せず避けるのは難しいですが、明らかにストレスを受けるよりはましです。

こちらが、大きな寛容性と、受容性を持っているなら別ですが、私たちは神様仏様ではありません。人間関係の中では、上手に避けることも大事です。

大人は適当にまた要領よく避けることは出来ます。さて、子どもはいかがでしょうか。まじめで優しい子どもほど、「誰とでも仲よくせんとあかん」の呪縛にとらわれやすいです。一生懸命にそのようにして、結局自分が大きなストレスを抱え込みやすいです。

「いやな友だち、苦手な友だちがいたら、無理に仲よくしなくてもいいのですよ」、という意味のことを、子どもさんの年令、理解力にあわせて伝えてあげて欲しいものです。


一緒に子育て39 「愛情とは、相手に関心を示すことである」

今回のみだしの言葉は、 中井政嗣さん の言葉です。中井さんは、お好み焼き専門店「千房」を全国規模で経営されています。そのお好み焼き屋さんに、少年院を退院した保護観察中の少年を従業員として雇用されています。

少年院や刑務所を出て、折角社会生活をしても再犯をくり返す人たちが多くいます。このことはマスコミ等でも取り上げられ法務省や関係官庁でも大きな課題になっています。

再犯の原因はいろいろありますが、その一番は仕事がないことです。無職者は、有職者の5倍もの再犯率になっていると言われています。従いまして、いかにして就労するか、就労が継続するかが、これら人たちの更生の大きなポイントです。

その観点の元、法務省や地方自治体が雇用に動いています。中井さんは民間の立場で、すでに継続してこれら人たちを雇用され、社会貢献をされています。

その中井さんの言葉に、「愛情は、相手に関心を示すことである」があります。私は、保護司としてこれら少年や、刑務所を仮出所した人たちと日常的に接していますが、この中井さんの言葉が「その通りや」、と思われるA少年がいました。A君は、中3の時暴力事件を起こし、家庭裁判所で保護観察処分の審判が出ました。私が担当保護司に指名されました。

彼は、在学中も学校で喫煙、怠学、遅刻等で生徒指導上いつも話題にのぼる生徒でした。A君との何回目かの面接で、「中3のとき、授業をサボって友人数人と廊下たむろしているのに、通りすがりの先生は何もゆうてくれへんかった」と話してくれたことがありました。先生方からすれば、どうせ注意しても聞いてくれないどころか、反抗されるとの懸念だったでしょう。彼のこの発言は、無視される、すなわち関心を示してくれない寂しさを表しています。           怒られる、注意されるというマイナスのメッセージであっても、無視・無関心は寂しかったのでしょう。

勉強も苦手で、部活も途中で退部し、誉められることも少なく、どちらかといえば注意されることの方が圧倒的に多かった中学校時代でした。、すなわち自尊感情が育たず、自己否定感ばかりだったことが想像できます。そのA君が卒業と同時に建築業の下働きとして就労しました。身体は大きく力もある彼が、その仕事ぶりを親方から誉められた、と嬉しそうに報告してくれたことがありました。誉められることが少なかったA君でしたが、仕事という居場所を実感し、そこで自分の存在感を見出したのです。A君は、その後も仕事に生きがいにして就労も継続し、再犯の心配もなく保護観察は良好解除になりました。

中井さんのことばで、A君のことを思い出しました。愛情という抽象的なことばを具体化すると「関心を示す」ことだ、とA君の発言で実感しました。、A君のことは、相当以前のケースですが、個人が特定されないよう事実関係を若干変更しています。

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臨床心理士・元スクールカウンセラー  鈴 木 隆 一


一緒に子育て38 映画「少年H」を見て

原作は出版された当時(3,40年前でしょうか?)に読み、共感できる部分が沢山あり大変印象深い小説でした。

戦中、戦後の激動する混乱絶頂の時代を、たくましく生き抜く少年の物語です。価値観が大変動し、混乱する大人、要領の良い大人を批判的に見たり、と社会的な訴えもさることながら、Hとその友人たちが、子どもらしさを失うことなく、楽しく生きている場面が印象的でした。

例えば、素潜りで神戸鷹取の海に潜りタコを突き、浜辺で焼いて食べるシーンは秀逸でした。もし神戸でなく山村でしたら、子どもたちは木の実を摘み、山鳥を捕っていたことでしょう。

私が小・中・高の頃、西宮や芦屋に海水浴場がありました。歩いて30分ほどかかりましたが、夏休みは毎日のように海で遊んでいました。一番熱中したのは、背が立つか立たない位の深さのところで、潜ってアサリをとることでした。身体が浮き上がらないようにすることと、素手でアサリを探すのにちょっとしたコツがいりました。そこそこ収穫もあり、おいしくいただきました。

昨今の熱中症に関連したことですが、炎天下を約1時間歩くのに帽子もかぶらず、3,4時間海で過ごすのに、持ち物といえばタオルと水着、獲物入れだけで、水筒は持たず自販機もありません。さすがに帰りはのどが渇き空腹でした。帰る途中の小学校校庭にある水道の水を飲んでいました。生ぬるくカルキ臭い味を今も思い出されます。

「なんで、熱中症にならんかったんやろ」、と思われてなりません。

その海も、相当以前に埋め立てられ、高層の集合住宅が建ち並んでいます。今もその海が懐かしく、公園風になっている岸壁から、釣りをすることがあります。それこそ熱中症に気をつけねばなりません。

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臨床心理士、元スクールカウンセラー 鈴 木 隆 一

 

 

 

 


一緒に子育て 37 友だち関係(小学校5年生講話からその3)

6月の中頃、市内小学校の5年生に「心の匠」として講話を要請されました。その項目の3つめが、この年令の子どもが一番関心のある「友だち関係」でした。

先ず、講話後の子どもの感想文を掲載します。

感想文その1 友だち関係の話を聞いて、私はその中に当てはまっていました。鈴木先生の話を聞いてよかったです。友だちをつくるのもいいと思うし、いらなくてもいいと聞いたのは初めてでした。話を聞いて心がすっきりしました。心の中がすっきりしてよかったです。

感想文その2 3番目の友だち関係の話を聞いてびっくりしました。私は保育園のときの先生からずっと「友だちは多い方がいい」と言われてきたからです。だから年度の初めには「友だちがいっぱいいたらいいなあ」と思っていました。でもいっぱいつくらんでもいいと聞いてほっとしました。とてもいい話だと思いました。

感想文その3 心の匠の話を聞いてはげしく同意しました。「友だち100人つくる」なんて目標はいらないと思いました、一人だってできるし、さみしくない人にとっては救いの言葉です。

このシリーズ16「常識の嘘その2」で「友だちがおらんのは、あかんことなんか」で述べたことを子ども向けに話しました。私たちが常識的に、「友だちはたくさんおった方がよい、友だちが少なかったり、おらんのは将来社会に出たときに困る」、と常に子どもたちに迫っています。

この常識の嘘で、私たちは子どもを束縛することがあります。友だちをすぐにつくれる子どもは、たくさんつくってもいいし、そうでない子どもは無理をしなくてもいいのです。時には、ゼロでもいいのです。友だちをつくろうとしてうまくいかなかった、相手にあわさなければならない友だちづきあいに疲れた、友だち関係の中で傷ついた、等の子どもは一杯いるはずです。また、持って生まれた性格で、群れることが苦手な子どももいます。

休み時間、教室で本を読んでいる子どもは、上手に時間を過ごしているのです。「あの子は誰ともよう遊ばへん、社会性のないやつやなあ」のマイナスの見方でなく、「一人で居れる強さ」として評価してやることも必要です。


一緒に子育て 36 心も風邪を引く(小学校5年生講話からその2)

一緒に子育て34に続きまして、小学校5年生に行いました講話について述べます。

先ず、タイトルの「心も風邪を引く」は、子どもたちに新鮮に映ったようです。5年生の年令は、思春期前期と言われます。思春期的な悩みや問題を持っている子どもいます。人生において、一番身体も心も激しく揺れ動く時期です。いずれ迎える中学生活に対して不安も持っています。

このタイトルで、私が訴えかったのは「誰でも今まで風邪を引いて、お医者さんに行ったように、心も身体と同じように風邪を引いて当たり前やで」、ということです。身体も風邪をひいたり、お腹が痛くなったりすることが誰にでもあるように、心の方も生きているのだから、悩んだり、落ち込んだり、やる気がなくなり学校へ行くのが嫌になることが、誰にでも起こることを分かって欲しかったのです。

生きているのだからこそ、心が揺れ動く、いい方へ揺れ動くときもあるし、反対の時もある。それで当たり前、何も恥ずかしいことではない、ということです。この悩み、ストレスは自分だけに起こっている、自分が弱いから起こるとお思い込み、大きな自己否定感につながらないようにすることです。

心が風邪を引いたらどうするのかにつなげました。身体が風邪を引いたら、薬を飲んだり、お医者さんに行ったり、時に学校を休むように、心が風邪を引いた(悩む、落ち込む、すなわちストレスがたまる)時にも、無視しないでなにがしかの対応が必要なのです。

一番手っ取り早いのは、誰かに自分の悩み、ストレスを話すことを提案しました。誰かとは、親や先生がよく言われますが、私は友だちでいいことを強調しました。「親に言ったら、あんたが弱いからや、あんたが悪いからや、と言われなかったですか」、と投げかけますと、賛同の声がたくさんありました。

悩むことが恥ずかしいと思い込むと、誰かに打ち明けたり、次の行動に移りにくいですが、誰にでもある当たり前のことと思えるなら、誰かに聞いてもらえやすくなります。このような習慣がつくと、友だちでは解決しないことは大人への相談につながります。

大人は、「何やそんなことぐらいで」とか、「お前が弱いからや」とかの言葉で切るのではなく、折角話をしてくれたのですから、子どもが話してくれる習慣を持たせたいものです。

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臨床心理士・元スクールカウンセラー  鈴 木 隆 一


一緒に子育て 35 七夕飾りから ~お母さんと過ごした何気ない思い出~

昨年に引き続きギャラリー店頭に、七夕飾り用の笹を自由に持って帰っていただけるように用意しています。何人かの子育て現役の若いお母さんが声をかけてくれ、持って帰ってくれました。おそらく、今日か明日、子どもと一緒に飾り付けをするのでしょう。その様子を想像すると、微笑ましくなります。

タイトルの「何気ない思い出」ですが、特別に時間やお金をかけたりするのではなく、日常的に親子が一緒に同じことをするという意味です。

中学校のスクールカウンセラー時代に、次のような臨床例がありました。             2年生不登校傾向女子生徒でした。登校しても教室へは入れず、別室登校をくり返していました。配慮を要することとして、本人の母親は別居していました。本人の意思で時々面接をしていましたが、あるときその母親について次のように述懐しました。

誕生日等に母親がプレゼントを持って訪ねてきてくれたり、普段あまり行かないレストランに連れて行ってくれるが、「そんなもんは、そのときだけの楽しみで、いっこも後に残らへん」、と不満げに語りました。意味深長な発言と受け止めました。この子は高価なプレゼントやご馳走より他のものを望んでいるのです。それが、日常の「何気ない思い出」です。母親は、喜んでもらうべくお金と時間をかけましたが、本人には瞬間的な思い出にしか残らなかったということです。

この話をアレンジして、ある子育て研修会で話しましたところ、フロアの若いお母さんから発言がありました。「自分の母親は覚えていないだろうが、幼稚園の頃母親と一緒にした粘土遊びが、何ともいえないぬくもりとして思い出される」でした。講師として嬉しい発言でした。

笹を持ち帰ったお母さんが、一緒に手作りの七夕飾りをすることで、きっと温かい思い出として子どもに残ることでしょう。

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臨床心理士・元スクールカウンセラー  鈴 木 隆 一

 

 

 


一緒の子育て 34 君たちも歩けるんやで(5年生児童への講話から)

6月の中頃、ある小学校の5年生を対象にした、講話の機会をいただきました。いつものことですが、明確な目的のある授業等でもない話に興味を持ってくれ、集中してもらうには、いろいろ工夫が必要です。

今回は、3つの項目を示しました。1.最近の興味あるできごと 2.心も風邪を引く 3.友だと関係 の3つでした。

1については、発言を促します。アベノミスクや北朝鮮のこと等、結構社会的事象のことを知っていました。いろいろ出た中で、私の狙いのエベレスト登頂の三浦雄一郎さんのことが出ました。彼の偉業を説明し努力の継続を評価しました。その後。君たちの祖父の年令の私が、四国歩き遍路で毎日約30キロを8日間、歩き続けたことを地図で示しながら紹介しました。

長い人間の歴史の中で、こんなに歩かなくなったのはつい最近であることについては、なかなか理解しにくい様子でした。そういえば、この子どもたちの親の世代には、すでにマイカーが当たり前でした。

「昔の暮らし」の学習はしていますが、身近な移動手段、運搬手段については知らないことを知りました。

私が子どもたちに言いたいことは、縄文時代からついこの間まで、人間は君たちの先祖は、歩いてきたこと、従って君たちは歩く潜在能力を持っていることの2点です。今は、歩くことに興味もわかないでしょうし、その必要もないでしょうが、もしそのような機会(大きな災害等で交通機関が途絶した時等)があれば、思い出して欲しいと考えています。

歩くことで、風を感じ、ありふれた自然の変化に気づき、人間の本能性の一つを維持して欲しいものです。2と3については、次回にします。

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一緒に子育て 33  番外 歩き遍路 人間、歩けるもんや

6月3日から8泊で四国88ヶ所遍路を歩いてきました。今回は、高知県四万十市(旧中村市)から愛媛県松山市まで歩きました。スタートはJR中村駅からバスで30分ほどの市ノ瀬バス停でした。初日は、午後からでしたので15キロの距離ですが、2日目以降はコンスタントに30キロ前後を歩きました。

札所でいえば、高知県最後の39番延光寺から松山市内の51番石手寺までです。中村、宇和島、大洲、内子、久万高原町、松山と歴史や文化で興味のある町々を歩き抜けました。

早めに宿に着き、脚が棒になっていなければ、古い町並みを散策することもありますが、たいがいは入浴、ビール、夕食、就寝となってしまいます。

私は、自分の経験と少しのこだわりから、歩くことや獲物(魚介類、木の実、山菜等)を自分でとって食べる等、人間の本能性は、どんなに社会が近代化されても残しておきたいものと考えています。

30キロを歩くことが、今の世の中では稀かも分かりませんが、私たちの2世代、3世代前までは交通機関が不十分で、バス、車、電車に乗ることが稀でした。縄文の頃から人間をやっていることを考えれば、こんなに歩かなくなったのはほんの少し前からで、私たちには歩くという潜在力を持っているはずです。

今年のNHK大河ドラマは幕末の京都、江戸、会津が舞台です。東海道、京都から江戸までは492キロです。当時の人々はそれを14日から15日間かけて旅をしたそうです。

大体、1日30キロ強程度で、今回の私の歩きとほぼ一緒です。

近々、ある小学校の5年生対象に講話を依頼されています。この話をして、子どもたちがどんな反応をするか楽しみにしています。

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臨床心理士・元スクールカウンセラー  鈴 木 隆 一


一緒に子育て 32 乳がん治療A子さん その3 ピアサポート再度

A子さんは3回目の抗がん剤投与も終え、順調に治療が進んでいます。抗がん剤投与の影響による気分の悪さや頭髪が抜けるのも、家族や友人のサポートを受け、上手に克服されています。

頭髪が抜けることは想定内のこととはいえ、辛い気持ちだったことでしょう。しかし、A子さんは持ち前の明るさと積極性でまわり、特に自分の子どもや自分も暗い気分にさせることなく、ユーモアを持って対応されています。これもまわりからのサポートが確実であるからこそ出来るのでしょう。

一緒に子育て29 A子さんその1で触れました、ピアサポートのことですが、A子さんはまさにその渦中にいると思われます。

A子さんは、身体的なハンディを持っています。通常、そのハンディのため社会的場面を控え気味になったり、友人関係も消極的になります。しかし、A子さんはそのハンディに関係なく、いろいろな場面で前向きで積極的です。例えば、子どもさんの所属する運動クラブの世話役も引き受けたり、学校の諸活動にも積極的に参加されています。そのことで、周辺の人たち、特に子育て中のお母さん方も彼女のハンディを理解し、ごく普通に友人関係をとれています。

すなわち子育てしている者同士の輪が広がっています。

ピアサポートは、このような関係性が基盤になります。

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臨床心理士 元スクールカウンセラー 鈴 木 隆 一


一緒に子育て 31 常識の嘘シリーズ4 「親が変わらんと子どもは変わらん」

よく聞く言葉ですね。これも反論のしようがありません。自分の子どもが学校や集団生活の中で、問題行動や気になる行動が顕在化したとき等、先生に「子どもさんの問題を改善するためには、お父さんお母さんが変わらんとダメですよ」と言われたら(こんなストレートないい方はないかも分かりませんが)、ごもっともと聞くしかありません。

親であっても完全ではなく、そのうえ大なり小なり日常の自分に後ろめたさがありますので、反論のしようがありません。

さて、本当でしょうか。あるいは変われるでしょうか。

30年、40年生きてきた人間には、その歴史と癖があります。それぞれに生き方やポリシーもあります。そのうえ持って生まれた性格もあります。時として、自分一代で出来たものでなく、親から引き継いだものもあります。「変わらなければならない」は、それらを否定することにもなります。

従いまして、そう簡単に変えられるものではありません。それを指摘されたとおり、変わろうと努力するのは大変な労力が必要です。また、どこかで無理をします。また、子どもの改善にすぐには結びつきません。これらが重なれば、自信を失いまし、ストレスをためます。子どもの養育、教育、しつけにあたる親が、自信を失っては元も子もありません。

子どもは、親の自信のない態度を見るのは、いやがることの一つです。

人は、自分の生き方(子どもへの養育態度も含めて)を肯定されてこそ、次のステップすなわち修正の方向へ向かいます。親、大人の癖や生き方、ポリシーはある時点ではマイナスに働くこともありますが、プラスに働くこともあるはずです。

私は、プラスに働いてきたことも評価し、親御さんに自信を持ってもらったうえで微調整をお願いします。

「大人になっとんのに、そう簡単に変わられへんで」が、私の持論です。

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臨床心理士・元スクールカウンセラー  鈴 木 隆 一


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