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カテゴリー: 一緒に子育て

一緒に子育て 19 「友だちが欲しい」

一緒に子育て16で、友だちを無理に作らなくてもよい、無理して付き合わなくてもよい、という内容の記述をしました。つい最近、子育て現役の保護者向けの講演会で、同じ内容のお話をしたところ、質問をいただきました。

「自分の子どもは、社交的でなく友だちがなかなかできない、友だちつきあいが下手であるが、友だちが欲しいという願いが強い。どうしてやればいいのか」、という質問でした。

もっともな質問です。特に思春期はそのような願いが強くなります。子どもの気持ちがそうであるなら、「友だちはおらんでも、それでええのや」では答えになりません。子どものその気持ちについては理解を示さねばなりません。

しかし、無理に友だちを作ることもできません。私が過去に受けた相談事例で、同じようなケースがありました。男子中学生でしたが、彼は高校生になって1学期の終わり頃、友だちができたと母親から報告がありました。

母親の観察では、本人と似たようなおとなしい友だちだそうです。彼は、おそらくそれまでの間、同級生やその友人関係を観察し、そのうえで自分に合う友だちを選んだのではないかと考えます。

「そのうち、きっとあなたに似合う友だちが見つかるから、焦ることはないよ」の、メッセージを送ってやりたいものです。

ご意見、感想、質問がございましたら、HOMEのコンタクトかお問い合わせから送信して下さい。

担当 臨床心理士、元スクールカウンセラー 鈴 木 隆 一

 

 


一緒に子育て18 常識の嘘シリーズその3 「お節介焼きは、あかんのか」

最近、プライバシーや個人情報のことがやかましく、時には神経質に言われています。もちろんその必要性もあり、気をつけることはいうまでもありません。

保護者対象のいじめ関連の講演会でした。周辺の友だちに明らかに暴力を奮う子どもA君がおり、被害者側が困り果てていました。質問がありました。それは「A君がここに至るまでの言動を周辺の人、大人なも子どもも見て知っているのに、なんでA君の保護者に言ってあげなかったのか」、という内容でした。

A君の保護者が、コミュニケーションが取りにくいとか、いろいろな事情があるかも分かりませんが、この質問は大変大切だと思いました。大きな暴力の前に前兆や小さな暴力があったはずです。その段階で対応できれば、やりやすかったかも分かりません。

ここで気になったのがプライバシーや個人情報を守ることが、大優先になりA君の家庭にお節介をする(A君の外部での行動をお知らせする)ことを控えすぎることです。優越感を満足させたり、A君の家庭や保護者を非難するため介入するのは間違いですが、純粋に子どものことで介入するのは正しいことです。

A君の保護者にお知らせして、すぐ解決とはいきません。多くの場合、子どもの問題行動の背景には、ストレスや人間関係の不備があります。家庭外での問題行動を教えてもらって、A君の家庭がそれらに対応できるチャンスなのです。

お節介焼きはマイナスイメージがありますが、こと子どものことであればもっとお互いにお節介を焼くのは如何でしょうか。                                         プライバシー個人情報という絶対的な言葉で、それでなくても希薄な人間関係、近隣関係が疎遠になることを恐れます。

このブログが「一緒に子育て」です。お節介を焼きましょう。

ご意見、感想、質問がございましたら、HOMEのコンタクトかお問い合わせから送信して下さい。

臨床心理士、元スクールカウンセラー 鈴木隆一


一緒に子育て 17 「子どもの食事について」

子どもの食事が問題になってずいぶん久しくなります。 「こしょく」という言葉で象徴されるように ・個食 ・孤食 ・小食がよく取り上げられます。

12年前、「知っていますか、子どもたちの食卓」という本が出版されました。誰と食べるか、何を食べるか、何かしながら食べるか等々詳細に調査され、大変センセーショナルに取り上げられました。

しかし、それだけ大きく問題になり、改善されたかというと、ますます深刻化しているのではないでしょうか。文部科学省、教委等の提唱で「早寝、早起き、朝ご飯」運動が行われていることもご存じの通りです。

依頼された講演会でもよくテーマになる問題ですし、スクールカウンセラー時代も担任の先生から相談された問題です。朝ご飯抜きや、食べてきても著しく偏った食事内容等でした。

そのときの感想ですが、私たちは理想的な朝食を基準にしすぎではないかという疑問です。 よく「一汁二菜」がいわれます。母親もフルタイムで働いていたり、シングルで子育てされている家庭には、無い物ねだりではないでしょうか。時には変則的な稼働時間もあります。

できそうもないことを目標にしたり、アドバイスするより、とにかく朝どんなものでも口に入れて登校することが現実的だと思いますし、家庭とも協力できることです。

稼働時間が変則的なお母さんに、冷蔵庫に菓子パンを買い置きし、子どもがそれを取り出し牛乳と一緒に食べることを提案したことがあります。

「知っていますか、子どもたちの食卓」の本でも、一杯のご飯と一杯のみそ汁を摂取すれば、午前中の活動に十分だとあります。みそ汁は、だしから作らなくてもインスタントがあります。一杯のご飯は、コンビニのおにぎりで十分です。子どもが火を使えるようになれば、また使えるように練習させ、お湯を沸かせばいいのです。

できていること、できやすいことからスタートし、徐々に改善すればいいのです。


一緒に子育て 16 常識の嘘シリーズ その2 「友だちがおらんのは、あかんことなんか」

一緒に子育て13で、常識の嘘シリーズその1として「過保護はそれほど問題か」を取り上げました。今回はその2として、見出しのことを取り上げます                      。同じ内容で、広報伊丹11月1日号人権尊重のまちづくり欄に、私の記事で掲載されていますが、大事なことなのでここでも触れたいと思います。

一般的に、誰もあまり疑うことなく「友だちはたくさんいる方がよい」その反対に、「友だちがいない、友だちと付き合えないのは、将来の社会生活に大きなマイナスになる」と、よく言われますし、言います。

中学校でのスクールカウンセラー時代の相談事例ですが、「休み時間に一人でいつも教室で本を読み、友だちと遊ばない女子生徒がいる。問題ではないか」、という相談を担任の先生から受けました。先生は運動場へ出て、友だちと遊ぶように何回も指導していました。

友人関係を楽しめる子どもと、それが苦手で傷つく子どもいるのです。群れて過ごす子どもと、一人で本を読んでいる子どもいるのが多様性ではないでしょうか。                彼女は自分の苦手さを認識して、上手に休み時間を過ごしているのです。

群れから外れることを恐れて、仕方なく周りに会わせ学校生活を過ごしている子どもが多くいます。ある不登校男子中学生の発言です。「友だちと話を合わせるため、好きでもないテレビの歌番組を見ていた。それもしんどくなった」。

私たち大人は、この「常識の嘘」で子どもを束縛していないでしょうか。友だちは数人でも構わない、時にはいなくてもいい、一人で過ごす強さを評価する発想も必要です。

友だちづくりが苦手な子どもに、「別に友だちがおらんかっても、それでええんやで」と言ってやりたいものです。

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臨床心理士・元スクールカウンセラー 鈴 木 隆 一


一緒に子育て 15 「甘えについて」

先日、保育所の先生方対象の講演会にお招きいただきました。その折次のような質問をいただきましたが、時間の都合で触れることができませんでした。それは「優しさと甘やかし」の違いでした。

カウンセリングや教育相談でもよく受ける質問です。優しさ、すなわち純粋な愛情をもって子どもに接する、また子どもから甘え要求を出してきたときに、そのレベルで受容することは、子どもの発達上欠くべからざるものです。これは甘やかしでも過保護でも決してありません。

子どもは、自分が受容された経験を積み重ね、自信を持って次の発達段階へ進んでいきます。すなわち自立へ向かいます。

過保護は、子どもが甘えにも来ていないのに大人の方から甘やかしたり、子どもの要求レベル以上に甘えさせることです。時には、子どものご機嫌を取るようなこともあります。

分かりやすく言えば、子どもが甘えを要求を出してくれば、大人側もそれに応えその関係を楽しめばいいのです。とは言え、過保護かそうでないのかの境を気にして、子どもとの関係を楽しめないのは一番のマイナスです。可愛いと思えば十分可愛がってください。

依存と自立がよく論じられますが、対立するものではなく依存があって自立が可能になります。子どもの教育で自立が優先されすぎ、結果的に破綻する事例もよく見受けられます。

大人になっても、誰かに甘え、依存することで自立した生活を送っているものです。

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臨床心理士・元スクールカウンセラー 鈴 木 隆 一


一緒に子育て 14  いじめについて その5  いじめっ子にしないためには?

いじめにつて考えるとき、被害者への対応がよく論議されます。ある子育て講演会で、「自分の子が、いじめ加害者側にならないためにはどうすればいいのか」という趣旨のテーマを頂きました。

このテーマは、いじめを考えるときの一つの視点でもあります。                  先日、発達障害関係の研修会に参加して、女性成人アスペルガーの方のお話を聞く機会がありました。彼女は、幸せそうな人や笑顔の多い人は、自分に対してマイナスのメッセージを届けたり、攻撃を仕掛けてこないという体験を語っておられました。

うなずける発言です。日頃、幸せや喜びを感じている子どもは、弱い者いじめというしがない行動で満足や喜びを感じたり、自分の存在感を発揮しなくてもいいのです。

幸せや喜びを感じ、自己存在を感じるのは、部活、趣味、勉強、友人関係、家族関係等の中ではないでしょうか。これらの中で、十分活動し交流することで、喜びや幸せを感じ、自己肯定感を満足させることでしょう。

いじめ加害者側にならないための一つの考え方だと思います。

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臨床心理士、元スクールカウンセラ- 鈴 木 隆 一

 


一緒に子育て 13

常識の嘘シリーズ その1 過保護はそれほど問題か

私の持論ですが、子育てには完璧がなく間違いがあって当たり前と思っています。その間違いの時、先生と言われる立場の人たちから、「お母さん、それは過保護ですよ」と、言われた人は多いのでないでしょうか。「お母さん、それは愛情不足ですよ」と共に指摘の言葉の双璧であるように思えます。

この二つの指摘は誰にでも当てはまり、言われた方は大なり小なり心当たりがあります。誰にでも当てはまることを、さも問題の主原因のように指摘します。

もちろん、子どもが要求もしていないのに、また要求水準以上に甘やかすことで、間違いや問題が起こることもよくあり、その修正や対応に苦労することもあります。

現在、虐待が一つの象徴でありますように、親子関係の希薄さや心のぬくもりの少なさが気になる状況です。過保護傾向で起こる間違い・問題と、虐待につながるような親の言動やネグレクトで起こる間違い・問題とどちらが深刻でしょうか。後者であることは間違いありません。

「お母さん、それは過保護ですよ」の指摘で、自然な母性性の発露をためらえば、親子関係の大きな損失です。

一番気になるのは、その指摘で親御さんが自信を失い、過保護かそうでないのかと心配しながら、子どもとの関係を考えることです。考えた末での子どもへの愛情は、子どもの心に届かない愛情になってしまいます。

計算ずくの愛情ではなく、どうぞ自然のおもむくままの愛情で子どもさんと接してください。


一緒に子育て 12  障がいの告知について

発達障がいの告知をいつ、どのように?

先日の幼稚園保護者講演会で本人にいつ、どのように障がいのことについて話せばいいのかと質問を受けました。親御さんにとれば大変迷う問題です。

数年前のスクールカウンセラー時代の臨床例を思い出しました。それは中学3年生男子発達障がいの事例でした。広汎性発達障がい特有の生真面目さ、換言すれば融通のなさを持っていました。知的面は問題なく学習活動には適応していましたが、友人関係、集団生活では若干ぎくしゃくしていました。しかし、その程度はトラブルを起こすほどでなく、自分と似たような友人数名との交友もありました。

従いまして、学校生活では、それほどおり辛さを感じることなく適応できていました。この親御さんとは、今すぐ告知の必要性はないと了解し合いました。

ただし、今後告知の必要性が出てくる可能性もある、そのときはどのようにするかを話し合いました。

先ず、告知の必要性があるのはどんな状態のときでしょうか。自分が集団生活、社会生活において生き辛さやおり辛さを強く感じ、自己否定感が大きく増大する。すなわち、日常生活や学校生活に支障が出てくるようなときには、分かりやすく説明してあげるべきでしょう。

成人発達障がいの方が告知を受けて「ああ、そうやったんか」と、ほっとしたとの述懐をよく聞きます。

タイミングよりもっと大事なことがあります。説明の内容です。先ほどの事例で、生真面目さと融通のなさを言いましたが、一人の子どもに両面があります。問題になるような片面だけを説明するのではなく、それと裏腹なもう一方を説明すべきです。例えば、「君は時間を正確に守る」、「学校のルールをちゃんと守れている」、「宿題は必ず仕上げてくる」等々のプラス面も強調し、自己肯定感を維持・増加する必要があります。それによって、自分の苦手な面を受け入れやすくなります。

ケースバイケースで、どの事例にも当てはまるとは思いませんが、タイミングと内容を考えたいものです、

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臨床心理士・元スクールカウンセラー 鈴 木 隆 一


一緒に子育て 11

幼稚園保護者講演会より 「子どもの矛盾した言動に疲れ、腹立ち、叱る・・・・」

先日、市内の公立幼稚園の保護者講演会に招かれました。その折、いただいた質問が見出しの内容でした。                                               母「ご飯ですよ」、子「ご飯はいや」、母「じゃあ、晩ご飯は何がいいの」、子「分からない」等々のやりとりの繰り返しに疲れ果て、終いには怒ってしまう、というお母さんがおられました。

これは食事に関してですが、いろいろな場面でこのようなことがおこるのは、どのお母さんにも想像できます。子どもはあれこれ言います。このお母さんは、子どもの発言を一生懸命に聞き、それに間違いなく応えようとされています。子どもの気持ちを大事にし、教育、子育て熱心と言えます。いわば、ミスなく子育てをしたいという気持ちがよく見えます。

私の持論ですが、「子育てには、100%パーフェクトはない」、「誰でも間違いがおこる」と考えています。子どもの言動、それも矛盾した言動にどう対応するのが正しいか、というご質問ですが、理想的な正解はありません。人によっては、「母親とはこうあるべきだ」という答えを出すかもしれませんが、生きた場面、変化する場面には通用しないと思います。

私の答えですが                                                          ・頭ごなしに怒鳴ったり、発言の矛盾を指摘し、叱ったりすることはよくない。                 ・無視するのではありませんが、正面から一生懸命取り上げるほどのことではないので、適当にいなす。                                                    ・いやなやりとりの時間を出来るだけ少なくする。等々です。

一食ぐらい抜いても子どもは大丈夫(病気にならない)です。お腹がすいて次はよく食べます。先の長い子育てですので、無駄なエネルギーは出来るだけ使わないようにする。

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臨床心理士・元スクールカウンセラー 鈴 木 隆 一


一緒に子育て 10

いじめについて その4 「教育的配慮」 「不慮の事故」?

いじめが関係して、自殺という痛ましいことが続いています。                    対応する関係者の言葉で気になることがあります。大津の事件で、女性教諭が指に大きなけがを負わされていました。いわば、傷害を負わされたわけです。学校側は、加害生徒への教育的配慮のもとに警察へ被害届を出しませんでしが、約3ヶ月たった先日に被害届を提出しました。

さて、教育的配慮とは何だったんでしょう。暴力をふるい相手にけがを負わしたも関わらず、自校の生徒だから、まだ未成年だから配慮、すなわち見過ごした、我慢した・・・ことなんでしょうか。

これは、間違いだと考えます。中学生といえども集団生活、社会生活をしています。集団生活、社会生活には当然ルール、決まり、法律があります。法律に触れる行為(今回は傷害)時には、当然それなりのペナルティがあります。被害届の元に、警察の取り調べから始まり、家庭裁判所の審判等々です。これらが社会の壁であり、大人の壁であるわけです。

教育的配慮とは、社会の壁、大人の壁を外してどうぞというのではなく、それに当たらせたあと、そのような厳しい状況の子どもに寄り添い、今後の歩みに踏み出せるように、励まし指針を与えることではないでしょうか。

高校生の自殺事件で、全校生徒への説明に「不慮の事故」の言葉を使いたいと、学校長が遺族に申し出たそうです。おそらく日常から「高校生はもう大人なのだから、責任を持つように」の類いの発信をしているはずです。ごまかしでなく真実を伝えるべきです。            「自殺」の言葉を聞く側の高校生への教育的配慮で「不慮の事故」にしたかったのでしょうか。自殺の言葉に傷つけられる生徒もいるでしょう。その心の傷への配慮が、心のケアであり、教育的配慮なのです。

臨床心理士、元スクールカウンセラー 鈴木隆一

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