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カテゴリー: 一緒に子育て

一緒に子育て 93 いじめと自尊感情

いじめ関連のある会での討議の中で、単なるいじめ件数の上下に関心を寄せるのではなく、子どもたちの「自尊感情を高めることが大事」との発言がありました。私も全く同感でです。

いじめは教育の世界、学校現場、学校集団で起こることが多いです。学校社会の社会病理とも言えます。そうしますと、単にいじめをなくすだけでなく学校の機能を修復する、本来の正常な形にすることが子どもの発達成長に大事なことです。子ども成長や発達が阻害されていることが、学校の社会病理につながるかも分かりません。

学校の機能をより正常化することの大きな一つに、分かる授業の推進と共に「自尊感情を高める」ことがあると思います。学習活動にもついていけない、部活動で自分の力を十分発揮出来ない、友だちともうまく付き合えない、等々が重なると自尊感情どころか、自己否定感が増幅します。

更に、そのような状況を理解してくれ、応援してくれる人がいなければ、自暴自棄にもつながります。結果的に生徒指導上の問題を起こすか、いじめターゲットを見つけ攻撃にもつながります。

大人になった発達障がいの人が次のような発言をされました。「学校時代にたくさんのいじめを受けたが、いつも穏やかな人は自分を攻撃してこなかった」。いつも穏やかな人とは、自尊感情も持っていると考えられます。その反対に、険しく不安定な表情の人とは、自尊感情が持てていない、自己否定感が存在すると考えられます。そのような人は、弱い者いじめというしがない行為で自分の存在感を発揮するしかないのです。

勉強も苦手、運動も苦手、友だちもいない等々の子どもたちの心情を理解し、寄り添い、少しの成功体験を共にすることは、どれだけ大きな応援になることでしょう。

失敗体験の積み重ねで不登校になった中学生が、自分のことを理解しようとしてくれた一人の先生の存在で立ち直った相談ケースを経験したことがあります。「理解してくれた」のでなく「理解しようとしてくれた」なのです。自分を理解し支えてくれる人の存在が、自尊感情にもつながるのです。

臨床心理士・元スクールカウンセラー  鈴 木 隆 一

ご意見、感想、質問等は yc-suzuki65@bcc.bai.ne.jp で送信下さい。


一緒に子育て 92 子どもとのコミュニケーション

伊丹市内のある小学校の保護者の皆様と、見出しのテーマで討議をしています。保護者の方々は、自分の子どもとの関係、中でも意思の疎通、コミュニケーションは切実な願いだと思います。これらがスムースにいけば、子どもの考えや状態が理解でき親としても大安心です。

子どもとコミュニケーションをスムースにするために、どんな語りかけがいいのか、どんな質問がいいのかが気になるところです。今回もそれらが出ましたが、子どもからの話を聞き出すために、こちらからどんな関わりがいいのかよりか、一番大事なのはこちらの聴く力、聞き方ではないでしょうか。

保護者の方々からの発言にもありましたが、子どもの発言に対して、ついうっかりいい加減に聞いてしまうと話されていました。折角のコミュニケーションの機会を失ったかも分かりません。

子どもから話を聞くためには今はやり「聞く力」が大事なのです。忙しくてもほんの少しの時間を子どものとの関係のために使用する。ほんのわずかな時間でも子どもの正面に立つことが大事だと思います。

親が一生懸命聞いてくれた体験が、話しやすい関係をつくることでしょう。

保護者の方からでたその他の意見として、こちらの態度やその場の雰囲気も大事だとおっしゃっていました。まさにその通りだと思います。発言しやすいこちらの態度や雰囲気も自分を表明するためにはとても大事な要素です。

結論として、こちらから何を話すかではなく、どのように聞くかがポイントです。

臨床心理士・元スクールカウンセラー  鈴 木 隆 一

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一緒に子育て89 犯罪被害者支援研修に参加してその2 罪の意識があるのか?

次回に続いて見出しの研修会に参加しての感想を述べます。

講師が述べられたことと、過去私が保護観察官、保護司としての経験をダブらせての感想です。 警察の関係者が、管轄の中学校へ出かけ生徒への講話を続けた結果、明らかに非行件数が減少したとの報告がありました。生徒に強調されたのは、万引きも法律の解釈からちゃんとして罪になる、追いかけてきた店員さんを振り切り、その店員さんが転倒して怪我をすれば傷害という罪になる、等々を丁寧に法律、刑法に照らし合わせて説明されたそうです。その罪、非行の結果、警察、検察、鑑別所、家庭裁判所、少年院等々を経て、償わなければいけない等も子どもたちは知っているでしょうか。

スパーやコンビニでの万引きの件数は相変わらずの状況です。よく言われているのは「罪の意識が希薄」ということです。補導されたり警察へ被害届を出されるのは、運が悪かったぐらいの意識です。皆がやっている、捕まらなければよい、という認識が多いようです。

その意識が万引きに止まらず、バイクの無免許運転、バイク窃盗、信号無視等々へ拡大します。これらも皆がやっている、捕まらなければよいレベルではないでしょうか。要するに自分らの行為が法令違反という認識がなく、言わば流行、ファッション程度の軽い気持ちで行われます。

私の保護観察対象者であった中3A君もその典型でした。すでに良好解除されて相当年数経ちます。A君も数度の万引きで生徒指導の先生から何度か指導され治まりましたが、仲間内でバイクの運転がはやり、その流行の流れで無免許運転へと進んでいきました。              まさに、皆がやっている、見つかっていないレベルの意識で、その行為が法令違反である、悪いことをやっている意識はほとんどありませんでした。意識というより知らないといってもいいと思います。いわば彼らのファッションなのです。

これらの意識を危惧した警察関係者が、法令に準拠してきちっと説明、解説することで、非行件数が減少したことは、時宜を得た教育と感じました。

感想、ご意見、質問がございましたら、yc-suzuki65@bcc.bai.ne.jpで送信して下さい。

臨床心理士・元スクールカウンセラー  鈴 木 隆 一


一緒に子育て 88 犯罪被害者支援研修に参加して 被害者の声「未然に防げたのでは?」

平成30年1月と2月に、6回にわたり京都犯罪被害者支援センターの研修に参加しました。そこでの電話相談や、面接での支援のボランティア活動をしてみたい、と考えてのことです。過去、臨床心理士として様々なクライエントを対象に、カウンセリング活動や心のケアの活動を経験しましたが、今回は初めての分野で新鮮な印象をいろいろ受けました。

一番印象的だったのは、少年犯罪の被害者当事者の声でした。過去にも、臨床心理士の研修会で、高校生の息子さんが友人の暴力で殺された母親の話をお聞きしたことがありました。

今回講師を務められたのも、面識のない16歳の少年から一方的に暴力を奮われ、殺された高校1年生の息子さんの母親Aさんでした。いろいろ語られた中で、現在保護司である私に耳の痛い内容がありました。

それは、犯罪被害者を出さないようにして欲しいと言うことでした。Aさんの息子を殺した犯人は、過去いろいろな少年非行を繰り返していたそうです。具体的には語られませんでしたが、類推するに、万引きや暴力事件、無免許でバイク運転等々ではないかと思われます。Aさんが強調されたのは、万引きや暴力事件が軽いとは言えませんが、そのレベルの段階で対応・保護・指導をきちっとなされていれば、重篤な非行や犯罪に至らなかったのではないか、ということでした。

確かに、保護観察対象者として私たちが出会う少年や大人の中には、非行犯罪を繰り返してきた人たちがいます。保護観察を終了した少年が再度事件を起こして、家庭裁判所の審判で少年院送致になるケースもあります。大きな事件の前の小さな事件で少年が立ち直ることできれば、Aさんのような被害者を出さなくてよかったでしょう。この犯人も、過去中学校や警察署等々でいろいろ保護や指導を受けてきたでしょう。保護観察を受けていたかも分かりません。

一度、非行に陥った少年の立ち直りには、本人に道徳性や規範性を身につけるように指導すること以外に、多方面の対応が必要です。                            Aさんの息子さんを殺した少年は、過去どのようなサポート受けたのか気になるところです。

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臨床心理士・元スクールカウンセラー  鈴 木 隆 一


一緒に子育て 80  質問に答えて ~相談相手が欲しいが~

よくいただく相談の一つです。障がいがあるなしに関わらず、子育ては際限のない仕事です。例えとしてよく例に出しますが、私が数年前にボランティアとして水害を受けた家屋の泥だしをしたことを例に挙げます。公民館の広い床一面に、30センチ程の水をたっぷり含んだ泥が積もっていました。もしこの泥を一人で出すとなるととても手をつける気持ちにもならないでしょう。しかし、10数人の同士がいることで、手をつける気にもなりますし作業もはかどります。いつ終わるともしれない事柄は、一人では不安で踏み出す勇気にもなりません。

泥だしと子育てを一緒にはできませんが、いつ終わるとのしれない仕事では似ていると思います。まして、ハンディのある子どもの子育てとなれば、一層不安と心配が募ります。そこで、私の持論ですが、「一緒に子育て」です。一緒の相手はいろいろです。心理や医療、療育の専門家も必要に応じて相談相手、一緒の相手にもなりますが、一番身近なのは「子育てをしている親同士」です。これをピアサポートといいます。子育ての悩みに的確な答えは返らないかもしれませんが、「みんな一緒や。ほんなら、ちょっと頑張ろうか」の気持ちを起こさせてくれます。子育てには正解はありません。親同士の話が正解に近いかも分かりません。

相談機関、医療機関も必要に応じて利用することもあるでしょう。診断や判定を得ることで自分の子ども理解につながり、今後の子育ての参考になります。定期的に利用することで、発達の状況の理解にもつながります。

現在保育所や幼稚園や学校に通園・登校している子どもが、並行して他の療育機関に通わせたいが、との質問もよく受けます。私は次のようにお答えします。その子どもが主たる生活の場、保育所、幼稚園、学校に喜んで通いそこでそれなりの活動があるなら、それ以上必要はないと思っています。子どももそれぞれの活動の場で全力で過ごし、ストレスを受けているでしょうし、心身の疲れもあります。帰宅後は、甘える時間、癒やされる時間として過ごすのは如何でしょうか。

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臨床心理士・元スクールカウンセラー 鈴木隆一


一緒に子育て 79 発達障がい児の困り感 教室で立ち歩く一年生

発達障がい児のことが注目され、相当年数経っています。教育でも福祉でもそれ以前と比べて格段に手立てがなされています。私も教育や保育の場で研修会の講師をよく務めますが、発達障がいのことが多くなっています。それだけ関心が深く、該当の子どもたちへの取り組みも真剣に考えられるようになってきたことは、喜ばしいことだと思っています。

先日、次のような相談を受けました。小学校1年生発達障がい傾向男子の子どもさんですが、音楽の授業に立ち歩くということでした。お母さんからの相談でした。授業中、他児が座って学習しているのに立ち歩くのは大変目立って、お母さんもお困りの様子がありありでした。

状況を詳しくお聞きしました。音楽の授業で先生がピアノ演奏やモデルで楽器を演奏している時は静かに聞いているが、子どもたちが演奏し始めると、奇声を上げて嫌がる様子を示して、最後には立ち歩くとのことでした。

発達障がいの子どもたちの多くに、感覚の過敏性があります。このことは通常よくいわれの社会性の障がいコミュニケーションの障害、想像性の障がいほど注目はされていませんが、実際の生活場面では、この過敏性で大変困っていることをよく見受けられます。

この子どもさんも聴覚の過敏性があり、秩序だった音(先生のモデルの演奏)なら聞くが、子どもたちの楽器演奏は雑音・騒音に聞こえ、本人の我慢の限界を超えていると考えられます。定型発達の子どもや我々なら我慢の範囲内ということが考えられますが、それを越えているのです。

私は、そのお母さんに、その時は教室外での適当な場所を用意して、そこに逃げ込むことをアドバイスしました。担当の先生の了解が要りますが、このように特別な措置もあってもいいのではないかと考えます。

5月21日に放映されたNHKスペシャルで、大人の当事者(発達障がい)の話がありました。子どもの頃、教室や街頭の騒音は、時には耳をドリルでえぐられるようだと話されていました。そのために、吐き気や頭痛さえもするそうです。

私たちは、そのような特有な感覚の過敏性に注目する必要があると思います。その配慮が発達障がい児・者の困り感を少しでも軽減できるものと考えます。

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臨床心理士・元スクールカウンセラー  鈴 木 隆 一


一緒に子育て 78 心の健康会議に参加して 特に関係性について

3月19日に福井市において見出しの研修会があり参加してきました。「周産期医療と心理臨床」のテーマで病院勤務の臨床心理士からの報告が印象的でした。出産直後から手厚い医療が必要な乳児とその母親へのケアが具体的に述べられました。乳児と母親が一番初めに関係を持つのはね出産直後に母親に抱かれることです。我が子を抱いて母親を実感して、喜びも倍加します。子育ての意欲も湧いてきます。

ところが、すぐに集中治療室へ行かなければならない乳児に対しては、それが不可能です。母親は自分の子どもが心配でたまりませんし、接触すらできません。不安が高まります。その母親を精神的にサポートするのが臨床心理士です。医療スタッフと共に、様々な方法で接触の機会を持つと共に、安心してその機会に子どもとの時間に没入できるできるようにケアします。

ここで没入と言いましたが、私子育ての中で「親は、子どもの前で立ち止まる」ということをしばしば強調します。どんなに忙しくとも、僅かな時間でも子どもの前に立ち止まる必要があります。その時の立ち止まり方ですが、まさに子どもとの関係に没入しなければ、折角立ち止まっても意味をなしません。心ここにあらずでは意味がありません。

過去のスクールカウンセラーや教育相談の中で、忙しくとても子どもとの接触できにくい話がよく出てきます。特にシングルで子育てをこなしている親は大変です。無いものねだりはできなせん。その時私はよく言ってきたのは、十分な時間がとれなくても「質のよい接触、立ち止まり方」があると、いうことです。それが没入です。子どもは親の心個々にあらずをすぐ見抜きます。

私たちは、社会生活の中でいろいろな人間関係を持ちます.。その関係の中(例えば相手からの反応)で、自分を確認したり、自己実現に向かいます。その目の前の関係に没入したいものです。

福井へ日帰りで研修会に参加しましたが、特急サンダーバードで2時間で行けるとは驚きでした。以前特急雷鳥と言われた時代に、登山やスキー・観光で北陸へよく出かけていましたが、大変便利になったものです.。それにしても北陸への旅行は久しぶりでした。福井は綺麗な町でした。

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臨床心理士・元スクールカウンセラー 鈴木隆一


一緒に子育て 76 登校を嫌がっていたA子さん 遊びで自分を表現

今年いただいた年賀状の中に、30数年前に不登校傾向を主訴に来談したA子さんからのがありました。教育委員会の相談部門勤務やスクールカウンセラー時代を含めまして、随分多くの相談を担当しましたが、A子さんは印象的なケースで、相当年月が経ってもよく覚えています。何でそんなに鮮明に覚えているのかですが、それは「遊びの不思議、遊戯療法の不思議」を教えてくれた、と考えられます。

小学校1年生のA子さんは、母親に連れられて来談しました。担任の先生からの情報では、なんとかお母さんに付いてきて貰って登校できるのですが、教室前で母親と別れづらく大声で泣き、なだめすかして引き取っていたとのことです。そういう状況が長引き担任の先生を通じて相談の申し込みがありました。

小さい妹さんがおられたので、3人で来られました。本来なら保護者の方に待機して貰える部屋があるべきなのですが、当時はその余裕がなく、同じ遊戯室に3人とも入って貰いました。Aさんには遊戯療法的なかかわりをしました。

A子さんは、当初から積極的に遊びました。印象的なのはその遊びでした。セラピストの私、母親、妹を巻き込んでお巡りさんごっこをするのです。自分がお巡りさんの役になり、その他3人がそのお巡りさんに捕まえられる役に割り振るのです。このような遊びが何回か続きました。

そのうち、教室前で母親と分かれる時も泣かなくなり、本人の申し出で教室前から校舎入り口、校門、校門が見える所と徐々に付いてきて貰う場所が、教室から遠くなりました。そのうち一人で登校できるようになりました。

遊戯療法は「子どもは、自分の悩みや不満、葛藤を言葉でうまく表現できないが、遊びの中で自分の気持ちを表現できれば、心理療法の効果につながる」、と解説されます。           彼女は、自分がリーダーになり遊びと他の人間をコントロールしたのです。もっと言えば、自分は悪者をやつける正義の役割を果たしたのです。自分が主人公なのです。プレイルームは、その遊びを保障できたのでした。                                 当時の彼女の内面でどんな悩み、不満、葛藤があるのか分かり得ませんが、この遊びを通じてそれらを表現し、克服したものと考えられます。

遊びの不思議、効果を教えてくれたA子さんでした。この遊びの不思議、効果はプレイルームでの遊びだけでなく、通常の遊びでも見られることはいうまでもありません。私は、箱庭療法も得意としますが、箱庭の作品作りでも同じようなことが言えます。

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臨床心理士・元スクールカウンセラー  鈴 木 隆 一

 


一緒に子育て 73 ご存知ですか、薬物依存症 子育てに関連して

私は、保護司の仕事(ボランティア)をしています。非行や犯罪を犯した人たちの再犯防止や更生のサポートです。そんな関係で非行・犯罪がらみの話を聞く機会があります。

先日、薬物依存症の話を聞きました。依存症とは、自ら不利益になることを認識しているのに、自分の行動をコントロール出来ずに(覚醒剤、マリファナ、等々)に手を出すことです。その結果、検挙され少年院、刑務所等に収容され家族共々苦労が始まります。

薬物依存症に至る要因がいろいろ分析されています。その中で強調したいのは、個人的条件の中の自尊心と、環境条件の中の機能不全家庭と若者文化という面です。

先ず、自尊心ですが自尊感情・自己肯定感という言葉に置き換えられます。「一緒に子育て 72」でも述べましたが、自尊感情・自己肯定感が低いということは、いつも不安感情で何事にも自信が持てなく、建設的な行動がとれません。例えば、何か困難なことにぶち当たった時、自分なりの努力を試みるとか、それがダメなら誰かに相談するとか、という行動よりか忘れたいや逃げの姿勢に移ります。その姿勢の1つが薬物に頼ることになります。そのことで困難なことに直面した不快な感情、不安な感情を忘れさせてくれます。

次に機能不全家庭ですが、これは両親が揃っているということをいっているわけではありません。両親がいる家庭、シングルの家庭というよりか、その家庭に人のつながり、すなわち家族の絆があるかどうかが問題なのです。シングルで忙しくても、少しの時間を有効に使い子どもと対面しているかが大事なのです。いくら両親が揃っていても、例えば個食、孤食では家族のつながりも出来ません。

最後に若者文化ですが言い換えれば、流行っている、かっこいいことです。あこがれのタレントやスポーツ選手がやっている、仲間がやっている等々が安易に手を出すきっかけになっています。自分に自信がない、自分なりの生き方が出来ていない等が流行に流されやすいです。

この3点は、日常の子育てにも関連すると思います。


一緒に子育て 72 自尊感情について

先日、幼稚園や保育所の保護者、職員の方々を対象の研修会に招かれました。テーマは、見出しの「自尊感情を育むためには、親はどうあるべきか」でした。保育、教育の世界では、自尊感情や自己肯定感はよく語られるものです。いわば子育ての世界では、永遠のテーマではないでしょうか。それだけに難しいとも言えるでしょう。

自尊感情や自己肯定感が明らかな子どもは、感情や情緒も豊かで自信に満ち、何事にも前向きに取り組みます。反対の場合も明らかに反対の様相を示します。例えば、注意、叱責、指導を多くの場面で受ける子どもは、いつもおどおどして、ものごとに対しても消極的で自信なげな様子を示します。ものごとへの取り組みだけでなく、対人関係も豊かではありません。このように周囲からマイナスのメッセージを多く受ければ、自訴運感情は育ちません。

よくいわれるように、誉めることで自尊感情や自己肯定感が育ちます。しかし、多くの親は「誉めようと思っても、すぐ叱ってしまう」「うちの子どもに誉めるところがない」、とよく発言されます。

相手にプラスのメッセージを送る、誉めるためには、こちらにもある程度の条件や準備が必要です。このようなテーマで講師を務めたある時、ワークショップ形式で「他者のいいところを見つけ、誉めてみてください」、と課題を出しました。誉める相手は普段からよく知っている相手でした。ある参加者が、次のような発言をしました。「私は普段から誉められたことがないので、人を誉めることが出来ない」でした。

この発言は、人を誉めようと思うとき、自分自身が他者からプラスのメッセージを受け、気持ち・情緒が安定していないと、誉めることが難しいということを示しています。親や教師の役割が先行して、子どもを誉めることも可能でしょうが、心の底から誉めるには難しいのではないでしょうか。

親は、子どもの自尊感情を育てるために「子どもを誉めなければならない」、と常識的にいわれますが、その肝心な親御さん自身が他者から誉められる、プラスのメッセージを受けることがないと、子どもを自然な形で誉めることは困難です。自分に自尊感情や肯定感を感じ、気分が安定していれば、子どもとの関係も安定し誉めることも可能です。

また、自分の子どもに誉めるところがない、という発言・質問をよく受けます。子どものいいところ(行動や発言)や長所に気づき誉めるわけですが、高いレベルでないと、誉めにくいと思われているようです。私たちは、いつも100点満点で生活をしていません.普通のレベルで生活をしています。すなわち60点位で十分生活をしているわけです。100点でないと誉められないのではなく、通常の生活をしていれば合格なのです。その合格点で誉めることも出来るわけです。

誉めて育てる、という言葉もあるとおり誉める効用はいうまでもありませんが、機嫌をとるためとか、誉めることが先行して嘘っぽいとかは、逆効果になります。きちっと子どもの行為や発言、長所の事実を言葉にして、そのことを誉めるようにしたいものです。おべんちゃらは見抜かれます。

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臨床心理士・元スクールカウンセラー  鈴 木 隆 一

 


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