ぎゃらりー鈴ブログ>

カテゴリー: 一緒に子育て

一緒に子育て 72 自尊感情について

先日、幼稚園や保育所の保護者、職員の方々を対象の研修会に招かれました。テーマは、見出しの「自尊感情を育むためには、親はどうあるべきか」でした。保育、教育の世界では、自尊感情や自己肯定感はよく語られるものです。いわば子育ての世界では、永遠のテーマではないでしょうか。それだけに難しいとも言えるでしょう。

自尊感情や自己肯定感が明らかな子どもは、感情や情緒も豊かで自信に満ち、何事にも前向きに取り組みます。反対の場合も明らかに反対の様相を示します。例えば、注意、叱責、指導を多くの場面で受ける子どもは、いつもおどおどして、ものごとに対しても消極的で自信なげな様子を示します。ものごとへの取り組みだけでなく、対人関係も豊かではありません。このように周囲からマイナスのメッセージを多く受ければ、自訴運感情は育ちません。

よくいわれるように、誉めることで自尊感情や自己肯定感が育ちます。しかし、多くの親は「誉めようと思っても、すぐ叱ってしまう」「うちの子どもに誉めるところがない」、とよく発言されます。

相手にプラスのメッセージを送る、誉めるためには、こちらにもある程度の条件や準備が必要です。このようなテーマで講師を務めたある時、ワークショップ形式で「他者のいいところを見つけ、誉めてみてください」、と課題を出しました。誉める相手は普段からよく知っている相手でした。ある参加者が、次のような発言をしました。「私は普段から誉められたことがないので、人を誉めることが出来ない」でした。

この発言は、人を誉めようと思うとき、自分自身が他者からプラスのメッセージを受け、気持ち・情緒が安定していないと、誉めることが難しいということを示しています。親や教師の役割が先行して、子どもを誉めることも可能でしょうが、心の底から誉めるには難しいのではないでしょうか。

親は、子どもの自尊感情を育てるために「子どもを誉めなければならない」、と常識的にいわれますが、その肝心な親御さん自身が他者から誉められる、プラスのメッセージを受けることがないと、子どもを自然な形で誉めることは困難です。自分に自尊感情や肯定感を感じ、気分が安定していれば、子どもとの関係も安定し誉めることも可能です。

また、自分の子どもに誉めるところがない、という発言・質問をよく受けます。子どものいいところ(行動や発言)や長所に気づき誉めるわけですが、高いレベルでないと、誉めにくいと思われているようです。私たちは、いつも100点満点で生活をしていません.普通のレベルで生活をしています。すなわち60点位で十分生活をしているわけです。100点でないと誉められないのではなく、通常の生活をしていれば合格なのです。その合格点で誉めることも出来るわけです。

誉めて育てる、という言葉もあるとおり誉める効用はいうまでもありませんが、機嫌をとるためとか、誉めることが先行して嘘っぽいとかは、逆効果になります。きちっと子どもの行為や発言、長所の事実を言葉にして、そのことを誉めるようにしたいものです。おべんちゃらは見抜かれます。

質問・感想がございましたらホームのコンタクトから発信してください。

臨床心理士・元スクールカウンセラー  鈴 木 隆 一

 


一緒に子育て 71 震災で思い出すこと

熊本での本震1ヶ月の本日です。熊本の人たちは、余震におびえ不安な日にちをお過ごしのことと思います。どうぞ1日も速い復興をお祈りいたします。

地震といえば、阪神淡路大震災、東日本大震災と私たちにも記憶に新しいです。その間に、風水害の大きな被害もありました。それぞれの被害地では大きな苦労をされながら、復興に向けて歩み、歩んでいることと思います。

私は、地震で忘れられないことがあります。というよりか忘れないで欲しいことがあります。先ず、小学校5年生の作文を読んでいただきます。                      「今日の話で、本当に日本人は助け合い、ルールを守っていて責任感があって礼儀正しい行動を取っていて、同じ日本人としてとても嬉しいです。遠藤未希さんのように最後の最後まで自分の命より他人の命を大切にして、責任を持って自分の持ち場を離れませんでした。遠藤さんはとても責任感が強い人だとお思いました。私もいつか遠藤さんみたいな責任感が強い大人になりたいです」

次に遠藤未希さんのお母さんからの手紙を紹介します。なおこの手紙はすでに新聞でも紹介されたものです。                                      「東日本大震災について、未希のことについて、いろんな感想を書いていただき有り難うございました。・・中略・・今回の地震で未希というかけがえのない娘を奪われました。辛く悲しいことですが、未希の行動は多くの多くの人たちに伝わり、何かを感じていただいたように思います。・・中略・・自分の出来ること、思いやり、助け合い、責任感と、いうものをこれからの生活に取り入れて欲しいと思います。皆さんの感想文を読み大きな勇気をいただきました。有り難うございました」

東日本大震災当時、宮城県南三陸町の防災センターに勤務されていた「遠藤未希さん」のエピソードを、講話を依頼された小学校5年生に紹介しました。遠藤さんは、最後の最後まで住民に避難を呼びかけました。しかし本人自身が逃げ遅れ、大津波の被害に遭い命を落としました。このエピソードは大きな反響を呼び、ある地方の教育委員会では教材にも取り入れました。私も感銘を受け児童への講話に利用させて貰いました。講話後の児童の感想文がよく書かれていて、ご遺族にお送りしました。ご遺族にとれば、他者に感銘を与えるよりか速く逃げて助かって欲しかったはずです。その辺りを斟酌しながら送りました。

今、遠藤さんのご両親は「未希の家」という民宿を経営されています。お父さんは漁師さんですので新鮮なお魚料理が自慢だそうです。6月には、「未希の家」をお訪ねする予定です。

臨床心理士・元スクールカウンセラー 鈴 木 隆 一

感想、ご意見、質問がございましたらホームのコンタクトから送信して下さい。


一緒に子育て 70 「一人、平気派」

このシリーズ16「子育て常識の嘘 その2」で「友だちがおらんのは、アカンことなんか」でも取り上げました内容です。「群れる弱さ」、「一人でいる強さ」の言葉でも対比させました。ある所で、ある事柄に関わり、一層このことを痛感しましたので、再度、取り上げたいと思います。

「一人、平気派」の言葉を使用しましたのは、中学生の保護者対象の講演会で,同趣旨の話をした時、感想文の中に「うちの子どもは、一人、平気派」と表現されていました。「一人でいる強さ」より「一人平気派」の方が穏やかな感じですので,今回みだしの言葉で使わせて貰いました。

さて、ある事柄というのは、小学校高学年女子児童のケースでした。小学校高学年といいますと、思春期前期の発達段階です。自分の性格、容貌等が大変気になります。また、周りの友人からどう思われているか、どう見られているか、自分の言動がどのように受け取られているかも,大変気になる年齢です。そのようなことを含めて友人関係にものすごく気を遣っています。もっといえば神経をすり減らしています。

その女子児童は、もともと友だちづくりが苦手で、集団生活を始まった頃から、どちらかといえば一人遊びが好きでした。しかし、学年が進行するにつれて,自分のことや周りのことが気になり始めました。時を同じくして親や,先生から友だちづくりを勧められました。常識的なこととして、友だちはたくさんいた方がよい、友だち関係の中でいろいろなことを学べる、友だちがいないと社会性が育たない等々のアドバイスを受けました。それほどきつく言われたわけではありませんが、「友だちが少ない、一人でいる方が多い」自分の日常にマイナスイメージを持ち始めました。いわゆる自己否定感の始まりです。

彼女は,自分でもそこから抜け出そうと、友だちづくりでいろいろ試みました。自然発生的な友人関係ではなく,とても意図的ですのでそこにはいつもぎこちなさ、不自然さだけが残りかえってうまくいきません。保護者の勧めもあり地域の運動クラブにも入りました。世間では運動を通じて友人が出来る、助け合いの精神が育成される、といわれます。この常識にもなかなか反論できません。

もともと運動嫌いの彼女は、そこでもいわゆる皆の足手まとい的な立場になり、自己否定の感情を募らせました。このようにいろいろな努力、大人からのいろいろなアドバイスの実行も、ことごとくうまくいきませんでした。このことだけが原因ではありませんが、不登校傾向から本格的な不登校になりました。

さて、ここで問題にしたいのは、彼女の「一人の方が過ごしやすい」「一人で本を読むのが好き」「一人でこつこつ手芸する方が好き」等々の持って生まれた性格や持ち味を、なんでアカンものとして、周りがこぞって評価するのであろうか。積極的に否定はしていないが、長きにわたってマイナスのメッセージを受け続けると、じわじわボディブローとして効いてくる。

子育ての専門書や専門家も、ごく常識的にその論を勧める。多様化を標榜する学校教育でもそうである。あまりにも常識的すぎるので周りは反論できない。私のいう「子育て常識の嘘」である。

「本を読むのは、内面を豊かにするもんやで」、「こつこつ一人で物事に取り組めるのは、根気強さにつながるで」「群れて過ごすと、自分を見失うことになりがちやで」、となんでプラスの評価を伝えてやれなかったのか。そうすれば、少なくとも自己否定の気持ちを、持ち続けることはなかったと考える。

常識は、確かに常識で当たることが多いが、強すぎる常識の裏には、時には当てはまらないこともあることを考えたい。

ご意見、感想、質問がありましたら、ホームのコンタクトから送信して下さい。

臨床心理士・元スクールカウンセラー  鈴 木 隆 一

 


一緒に子育て 69 広島中3自殺について

この数日、新聞、テレビの報道で広島県府中町立の中学校3年生男子生徒の自殺の問題が,盛んに取り上げられています。学校関係者、臨床心理士として見過ごすことが出来ません。この年齢で自ら命を絶つということは、誠に痛ましい限りです。残されたご遺族のお気持ちは想像するに言葉がありません。

報道によれば、万引きの事実や記録の手違いのようですが、彼に取れば単なる手違いということではすまされない人生の岐路に関わる重大な事柄なのです。先ず、このことから学校における生徒関係の記録、会議録が慎重丁寧に扱われなければなりません。また、過去何回か訂正の機会があったに関わらずそれをしなかったとも報道されていますが、複数の教員が関わると責任が分散されるという空気が漂い、結局誰の責任か分からなくなります。

間違った事実で進路指導が行われたことは、とんでもないことです。進路指導を行った教員は、自分の発言の重大性をどれほど認識していたかが疑問に残ります。希望に満ちた高校生活を夢に描いていたのが,断ち切られたのです。面対で話し合っていたわけですから、何らかの反応も読み取れるはずです。希望を断ち切られた生徒が、どんな辛い気持ちに陥るのか、どんなにショックなのかに何故寄り添えなかったのかが大きな疑問です。担任をしていたのなら,日常的に本人との接触もある訳ですから、本人の性格特性(想像するにナイーブ、繊細、優しい)を知り得ているはずですので、後のフォローをしなければならないはずです。

厳しい事実を突きつけられる、宣告される状態にあっても、それから受ける辛さを他者が理解してくれている、寄り添ってくれていることが分かれば、人は何とか耐えられますが、反対の状況に置かれると耐えられません。

おそらく全国的でしょうが、中学校ではけじめのある指導と共に、生徒に寄り添う、ということがいわれているはずです。今回は、事実誤認の問題と生徒の気持ちに寄り添っていなかった問題もあると思えます。

質問、ご意見、感想がありましたら,コンタクトから送信して下さい。

臨床心理士・元スクールカウンセラー 鈴 木 隆 一

 


一緒に子育て 67 子どもと自然との触れあい その2

一緒に子育て65で、子どもが自然と触れ合うためには、周りの大人のあり方が大事だと述べました。

今回は、私がスクールカウンセラー時代にお目にかかった、ある保護者の方について述べます。周りに里山が広がる自然豊かな所で育ち生活されていました。子どもさんのことで私の元に来られました。話が一段落したとき、ご自分の子ども時代のことを思い出され、次のようにおっしゃいました。「不登校気味の中学生の頃、学校に行くのが嫌で近くの山に入り、木登りで時間を過ごしていた」、とのことでした。その話し方、表情は大変穏やかな感じを受けました。

この方の性格傾向として、一概には言えませんがお話ししている中で、ナイーブで大勢の中で過ごすのが苦手な感じを受けました。言わば、多人数の中では「傷つきやすい」、といえます。カウンセリングの世界にいますと、「人は人によって傷つき、人によって癒やされる」ことを実感しますが、「人は人によって傷つき、自然の中で癒やされる」ことをこの方から学びました。お話を聞いていて、一人で山や木に溶け込んでいるかのような感じを受けました。

私たちは、山や海、川に出かけます。その時、何をするでもなくふっと瞬間的に自然に溶け込む感じをする時があります。私の体験では、前後に人が見当たらない山道を歩いている時、海に潜り身体が浮き上がらないように、岩をつかんで周りを見ている時に、そのような感じをしました。そのシーンを思い出しますと気持ちが安らいできます。

仲間と大勢で出かけて、海遊び・川遊びもそれはそれで大変楽しいものです。しかし、溶け込む、触れあう実感は、やはり静かな雰囲気でしか味わえないのではないでしょうか。家族で子どもさんを連れて海、山に行った時そのようなワンシーンを作るのも如何でしょうか。

人それぞれの体験の中で、気持ちが安らぐ思い出があるでしょうが、自然との触れあいもその一つではないです。

感想、ご意見、質問がございましたら、ホームのコンタクトから送信して下さい。

臨床心理士・元スクールカウンセラー  鈴 木 隆 一


一緒に子育て 66 伝統行事

P1020768P1020771

以前にも紹介した新聞の読者投稿川柳に「やってたな 一家総出の 大掃除」があります。大昔でなく少し前にあった、家族や地域の伝統行事がいつのまにか廃れたことを詠んだ句です。生活様式、家族構成、地域状況、親戚との付き合い方等々でこれら行事が変化しても当然です。「昔はこんなこともあったのに」は単なる郷愁で無い物ねだりになるでしょう。

とは言いながら、大掃除の箇所を「お餅つき」「お節づくり」「初詣で」「お墓参り」等々に変えてもすべてに当てはまるのではないでしょうか。少し前まで、自分の用事を優先して、あれだけ一生懸命に家族が一緒に過ごした時間がなくなっていることは、気になることです。

私の趣味で、写真のようなお餅つきを続けています。小さい子どもたちにも参加して貰っています。つきたてのお餅の美味しさ、蒸しただけの餅米の味、薪を燃やすことのおもしろさ等々、子どもたちは新鮮な印象を持ってくれます。

先述しましたように、これら伝統行事を続けることが難しくなっています。それに変わる自分の家族の行事を作り出すのも如何でしょうか。大きくなった子どもたちに思い出になるはずです。.こんなことを幼稚園の研修会で話したところ、あるお母さんが、「自分のところでは、毎夏友人一家とキャンプに行っている」と話されました。そうです、いわゆるお餅つき等の伝統行事でなくても、新しいその家族だけの伝統行事を作り上げればいいのです。

それにしても、子どもたちは火遊びが好きです。団扇であおいだり、火吹き竹で空気を送っています。私の山小屋に大人が来れば、薪割りを一番好んしてでくれます。いずれも人間の本能を呼び覚ますようです。

感想、質問をお待ちしています。                                 臨床心理士・元スクールカウンセラー  鈴 木 隆 一


一緒に子育て 65 子どもと自然との触れあい

子どもが育つ中で、自然との触れあいの大切さ、必要性がよく言われています。野山や川で思い切り身体を動かすことで、虫や小動物、草木と触れ合う、季節の移ろいを感じることが出来るわけです。昭和の時代には、わざわざそのような理屈をこねなくても、室内での遊び、テレビ、ゲーム等がなかったので、外遊びしかありませんでした。庭先や路地で遊び、近くに川や野原があればそこも格好の遊び場になります。思い出せば、その遊びは缶蹴り、鬼ごっこ、かくれんぼ、コマ回し、たこ揚げ、縄跳び等でした。一人でなく必ず多くの友だちが周辺にいました。多くの大人は、そのような場面を思い出せるのではないでしょうか。

新聞の読者投稿の川柳に「それぞれに ゲームするなら 来なくても」がありました。思わずにたっとなります。子どもの一人遊び、室内遊びの弊害も言われて久しくなります。

そこでこれら弊害を何とかするため、いろいろな取り組みが、幼稚園・保育所・学校・地域行われていることも周知のことです。

先日、丹波地方のあるこども園の保育を参観する機会がありました。積極的・意図的に保育を勧めている園と聞いていました。参観の冒頭、園長先生から挨拶がありました。そこで強調されていたのは、ごく身近にある自然との触れあいを、積極的に取り入れていることでした。その背景には北欧のある国で提唱されている考え方を参考にされていました。

北欧ですから、周りに自然環境が一杯あるわけですが、子どもたちはそこで遊ぶことも少なく、時には自然に帰りにくいゴミ等が見受けられることもあるそうです。このことは、その園がある丹波地方と全く同じというわけです。少し脚を伸ばせば里山、林、森があるのに子どもの遊びに行く場所にはなっていません。私も自分の工房がある山を丹波に持っていますので、そのことは実感できます。クヌギの木にカブトムシ、クワガタが群れていますが、虫取りをする子どもの姿はあまり見かけません、小魚が泳いでいる川にも子どもは網を持っていません。

従いまして、保育者の方から意図的にしかける必要があるわけです。その園は、それを実践されていました。歩いて数分のところに林がありますので、場所的にも恵まれています。

これらの取り組みは、時としてそのときだけのイベントとして終わることが多いですが、この園は継続的に保育の中に取り組んでいることが評価されます。

更にいえば、その保育をする大人が、心の底から自然との触れあいを好んでいるかも大事です。子どもは、一番身近で信頼のおける大人の動向に左右されることが多いです。保育者よりか保護者の方が身近です。両親が、祖父母が好んで自然の中に身を置くことで、子どもたちも自然との触れあいが、意図しなくても出来るわけです。イベントでなく日常化したいものです。

市街地でもその気になれば、ちょっとした自然は見つけられます。


一緒に子育て 63 思春期の子どもとの付き合い方その2

このテーマは過去にもとり上げました。そのときにも触れましたが、子育て中の方々にとって永遠の課題でしょう。

招かれて講師の役をお受けしますが、「子どものストレスにどう付き合うか」の質問を先日の研修会でいただきました。マスコミ報道等で中学生の自殺が取り上げられますので、保護者の方々は一層神経質になられることでしょう。

人が社会で生活し、いろいろな人間関係をもちます。その中で、なにがしかのトラブルや軋轢にあいます。子どもであれば学校での友人関係、部活での先輩との関係、先生との関係、家庭では親との関係等々いろいろあります。勉強や成績のこともあります。

プラスになるものものもありますが、マイナスになるもの、すなわちストレスになるものも当然あるわけです。人が生きていく限り、ストレスをゼロにすることはできません。

ときには、ストレスをバネに頑張ることもあります。頑張るか、ダメージを受けるか、また、立ち直りが早いか、遅いかはまさに人それぞれです。この人それぞれの観点が大事なことです。同じようにストレスを受けても、何ともない子どもや早く立ち直った子どもを基準に、あの子は弱い、まだ甘えている等の評価は禁物です。

一般論は、この人それぞれを無視しがちになることがあります。このことに注意が必要です。

それを前提に「子どものストレスにどう付き合うか」に触れたいと思います。一番大事なのは、子どもが嫌なことにあった、そのことで辛い気持ちになったことを、表現してくれることです。表現し誰かに分かってもらえたことで、受けたストレスの多くが解消されます。一番辛いのは誰にも自分の辛さが伝わらないことです。誰かに共感的に理解してくれれば、頑張る気持ちも湧いてきます。

子どもの表現は拙いこともあります。特に思春期は直球でなくカーブで表現します。また、言葉でなく反抗的な態度でも表します。それに同調すると逆効果になります。大事なのは、子どもが嫌なこと辛いことを表現しやすい環境を作っておくことです。子どもからの言葉がけに、忙しい、後ででなく、なにはともあれ正面から向かいあうことです。いつでも聞いてくれる人の存在は、子どもにとって心強いものです。

例えば、友だち関係で辛かったことがあるとします。それに対して具体的で的を得た対応策は、そうあるものではありません。学校での生活や友だち関係は流動的です。一つの対応策が簡単に通用するとは思いません。具体策を教えなくても、分かってもらえた安心感をバネに、後は子ども自身が工夫することが多いです。

子どもが表現したとき「なんや、それぐらいで」や「それぐらいは、我慢せえ」は禁物です。

中学生への講話後の感想文に「私は、ストレスをためることがない。それは家族との触れあいがあうからだ」と表した生徒がいました。ストレスを表現する機会に恵まれているのでしょう。

次回に続きます。

質問、感想をお待ちしています。

臨床心理士・元スクールカウンセラー  鈴 木 隆 一

 


一緒に子育て 62 思春期の子どもとの付き合い方

子育て関係の講演会、研修会のテーマになることが多いのは、思春期関係のことです。先日もお招きいただいた市内中学校の保護者対象の講演会のテーマになりました。s思春期と一言でい言いますが、対象は小学校高学年から中学生にかけてになります。

付き合い方とはあまりにも大きな範囲ですので、予め質問をいただきそれに答える形で進めました。この年齢のこどもをお持ちの親御さんに取れば、永遠のテーマではないでしょうか。 先ず反抗的、攻撃的な言動です。反抗そのものに親は戸惑います。よく反抗は成長のステップと言われます。まさにその通りと言えるのではないでしょうか。荒っぽい言動にお親はたじたじしますが、この子も育っていってると思えば少し余裕を持って付き合えるのではないでしょうか。自己主張したい「おオレもお大きくなっているんやぞ」の証ではないでしょうか。ただ限度を超えたあ荒い言動については、その家なりの基準でしつけとして注意、指導もあってしかるべきでしょう。

「うちの子ども反抗がない、心配です」の質問もよく受けます。反抗的な気持ちの表し方は、子どもにより様々です。よく分かる形、見えにくい形といろいろです。例えば、友だち同士で親の悪口を言うの、もその一つではないでしょうか。いずれにしましても、時期が来れば自然と治まるものですので、あまり神経質にならずに見守っていきましょう。

担当  鈴木隆一(臨床心理士・元スクールカウンセラー) 質問・感想をお待ちしています。


一緒に子育て 61 いじめを考える

いじめについて、いじめをなくすについて、いじめ被害の子どもへの対応について等々様々な意見があります。特に、大津での中学生自殺以来、教育委員会や行政当局が力を入れ、対策が講じられています。新たな法令も作られ学校や教員、市民に示されています。

先日、市内小学校の講演会に招かれました。テーマはよくあります「発達障がいについて」でした。発達障がい児の特徴や保護者の方々のご苦労等を述べ、それぞれの対応について理解を求めます。子どもの特徴や障がいにあわせた接し方、サポートの仕方等を述べる時、果たして「ハウツーもの」をどれだけ分かっていただいても、その「ハウツー」を持続して取り組んでいただけるの、かふと疑問に思いました。方法が分かっても本腰を入れ、継続して取り組めるかどうかということです。

本腰を入れ、少々挫折(子どもへの取り組みではよくあることです)しても、継続して変わりなく続けて貰うのは方法の理解ではなく、発達障がいの子どもたちの「集団や人間関係の中での困り感」にどれだけ共感し、心の奥深くまで共鳴できるかではないかと思います。共感、共鳴感の深度が取り組みのエネルギーだと思います。

それと同じように、いじめの問題にしても、どれだけ体制や法令が整備されても、いじめ被害の子どもから訴えを聞いた大人(親や、教師)が、訴えてきた子どもの辛さにどれだけ共感し、共鳴するかによって、スピード感のある次に対策へ移れるかどうかに関係すると思います。

聞いた者が一人で抱え込むものではない、組織として取り組むはよく言われることですが、一番最初に子どもからの訴えを聞いた大人の感度が、今後の取り組みを左右するものです。

子どもは、自分の内面を言葉にして訴えるが苦手です。特にいじめ被害の子ども、立場の弱い子どもはそうです。時系列で正確に言葉にするのが苦手だ、ということも心にとめ、折角言ってくれた訴えを大事にしなければなりません。

ご意見、感想、質問がございましたら、HOMEのコンタクトかお問い合わせから送信下さい。臨床心理士・元スクールカウンセラー鈴木隆一


top