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カテゴリー: 一緒に子育て

一緒に子育て 66 伝統行事

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以前にも紹介した新聞の読者投稿川柳に「やってたな 一家総出の 大掃除」があります。大昔でなく少し前にあった、家族や地域の伝統行事がいつのまにか廃れたことを詠んだ句です。生活様式、家族構成、地域状況、親戚との付き合い方等々でこれら行事が変化しても当然です。「昔はこんなこともあったのに」は単なる郷愁で無い物ねだりになるでしょう。

とは言いながら、大掃除の箇所を「お餅つき」「お節づくり」「初詣で」「お墓参り」等々に変えてもすべてに当てはまるのではないでしょうか。少し前まで、自分の用事を優先して、あれだけ一生懸命に家族が一緒に過ごした時間がなくなっていることは、気になることです。

私の趣味で、写真のようなお餅つきを続けています。小さい子どもたちにも参加して貰っています。つきたてのお餅の美味しさ、蒸しただけの餅米の味、薪を燃やすことのおもしろさ等々、子どもたちは新鮮な印象を持ってくれます。

先述しましたように、これら伝統行事を続けることが難しくなっています。それに変わる自分の家族の行事を作り出すのも如何でしょうか。大きくなった子どもたちに思い出になるはずです。.こんなことを幼稚園の研修会で話したところ、あるお母さんが、「自分のところでは、毎夏友人一家とキャンプに行っている」と話されました。そうです、いわゆるお餅つき等の伝統行事でなくても、新しいその家族だけの伝統行事を作り上げればいいのです。

それにしても、子どもたちは火遊びが好きです。団扇であおいだり、火吹き竹で空気を送っています。私の山小屋に大人が来れば、薪割りを一番好んしてでくれます。いずれも人間の本能を呼び覚ますようです。

感想、質問をお待ちしています。                                 臨床心理士・元スクールカウンセラー  鈴 木 隆 一


一緒に子育て 65 子どもと自然との触れあい

子どもが育つ中で、自然との触れあいの大切さ、必要性がよく言われています。野山や川で思い切り身体を動かすことで、虫や小動物、草木と触れ合う、季節の移ろいを感じることが出来るわけです。昭和の時代には、わざわざそのような理屈をこねなくても、室内での遊び、テレビ、ゲーム等がなかったので、外遊びしかありませんでした。庭先や路地で遊び、近くに川や野原があればそこも格好の遊び場になります。思い出せば、その遊びは缶蹴り、鬼ごっこ、かくれんぼ、コマ回し、たこ揚げ、縄跳び等でした。一人でなく必ず多くの友だちが周辺にいました。多くの大人は、そのような場面を思い出せるのではないでしょうか。

新聞の読者投稿の川柳に「それぞれに ゲームするなら 来なくても」がありました。思わずにたっとなります。子どもの一人遊び、室内遊びの弊害も言われて久しくなります。

そこでこれら弊害を何とかするため、いろいろな取り組みが、幼稚園・保育所・学校・地域行われていることも周知のことです。

先日、丹波地方のあるこども園の保育を参観する機会がありました。積極的・意図的に保育を勧めている園と聞いていました。参観の冒頭、園長先生から挨拶がありました。そこで強調されていたのは、ごく身近にある自然との触れあいを、積極的に取り入れていることでした。その背景には北欧のある国で提唱されている考え方を参考にされていました。

北欧ですから、周りに自然環境が一杯あるわけですが、子どもたちはそこで遊ぶことも少なく、時には自然に帰りにくいゴミ等が見受けられることもあるそうです。このことは、その園がある丹波地方と全く同じというわけです。少し脚を伸ばせば里山、林、森があるのに子どもの遊びに行く場所にはなっていません。私も自分の工房がある山を丹波に持っていますので、そのことは実感できます。クヌギの木にカブトムシ、クワガタが群れていますが、虫取りをする子どもの姿はあまり見かけません、小魚が泳いでいる川にも子どもは網を持っていません。

従いまして、保育者の方から意図的にしかける必要があるわけです。その園は、それを実践されていました。歩いて数分のところに林がありますので、場所的にも恵まれています。

これらの取り組みは、時としてそのときだけのイベントとして終わることが多いですが、この園は継続的に保育の中に取り組んでいることが評価されます。

更にいえば、その保育をする大人が、心の底から自然との触れあいを好んでいるかも大事です。子どもは、一番身近で信頼のおける大人の動向に左右されることが多いです。保育者よりか保護者の方が身近です。両親が、祖父母が好んで自然の中に身を置くことで、子どもたちも自然との触れあいが、意図しなくても出来るわけです。イベントでなく日常化したいものです。

市街地でもその気になれば、ちょっとした自然は見つけられます。


一緒に子育て 63 思春期の子どもとの付き合い方その2

このテーマは過去にもとり上げました。そのときにも触れましたが、子育て中の方々にとって永遠の課題でしょう。

招かれて講師の役をお受けしますが、「子どものストレスにどう付き合うか」の質問を先日の研修会でいただきました。マスコミ報道等で中学生の自殺が取り上げられますので、保護者の方々は一層神経質になられることでしょう。

人が社会で生活し、いろいろな人間関係をもちます。その中で、なにがしかのトラブルや軋轢にあいます。子どもであれば学校での友人関係、部活での先輩との関係、先生との関係、家庭では親との関係等々いろいろあります。勉強や成績のこともあります。

プラスになるものものもありますが、マイナスになるもの、すなわちストレスになるものも当然あるわけです。人が生きていく限り、ストレスをゼロにすることはできません。

ときには、ストレスをバネに頑張ることもあります。頑張るか、ダメージを受けるか、また、立ち直りが早いか、遅いかはまさに人それぞれです。この人それぞれの観点が大事なことです。同じようにストレスを受けても、何ともない子どもや早く立ち直った子どもを基準に、あの子は弱い、まだ甘えている等の評価は禁物です。

一般論は、この人それぞれを無視しがちになることがあります。このことに注意が必要です。

それを前提に「子どものストレスにどう付き合うか」に触れたいと思います。一番大事なのは、子どもが嫌なことにあった、そのことで辛い気持ちになったことを、表現してくれることです。表現し誰かに分かってもらえたことで、受けたストレスの多くが解消されます。一番辛いのは誰にも自分の辛さが伝わらないことです。誰かに共感的に理解してくれれば、頑張る気持ちも湧いてきます。

子どもの表現は拙いこともあります。特に思春期は直球でなくカーブで表現します。また、言葉でなく反抗的な態度でも表します。それに同調すると逆効果になります。大事なのは、子どもが嫌なこと辛いことを表現しやすい環境を作っておくことです。子どもからの言葉がけに、忙しい、後ででなく、なにはともあれ正面から向かいあうことです。いつでも聞いてくれる人の存在は、子どもにとって心強いものです。

例えば、友だち関係で辛かったことがあるとします。それに対して具体的で的を得た対応策は、そうあるものではありません。学校での生活や友だち関係は流動的です。一つの対応策が簡単に通用するとは思いません。具体策を教えなくても、分かってもらえた安心感をバネに、後は子ども自身が工夫することが多いです。

子どもが表現したとき「なんや、それぐらいで」や「それぐらいは、我慢せえ」は禁物です。

中学生への講話後の感想文に「私は、ストレスをためることがない。それは家族との触れあいがあうからだ」と表した生徒がいました。ストレスを表現する機会に恵まれているのでしょう。

次回に続きます。

質問、感想をお待ちしています。

臨床心理士・元スクールカウンセラー  鈴 木 隆 一

 


一緒に子育て 62 思春期の子どもとの付き合い方

子育て関係の講演会、研修会のテーマになることが多いのは、思春期関係のことです。先日もお招きいただいた市内中学校の保護者対象の講演会のテーマになりました。s思春期と一言でい言いますが、対象は小学校高学年から中学生にかけてになります。

付き合い方とはあまりにも大きな範囲ですので、予め質問をいただきそれに答える形で進めました。この年齢のこどもをお持ちの親御さんに取れば、永遠のテーマではないでしょうか。 先ず反抗的、攻撃的な言動です。反抗そのものに親は戸惑います。よく反抗は成長のステップと言われます。まさにその通りと言えるのではないでしょうか。荒っぽい言動にお親はたじたじしますが、この子も育っていってると思えば少し余裕を持って付き合えるのではないでしょうか。自己主張したい「おオレもお大きくなっているんやぞ」の証ではないでしょうか。ただ限度を超えたあ荒い言動については、その家なりの基準でしつけとして注意、指導もあってしかるべきでしょう。

「うちの子ども反抗がない、心配です」の質問もよく受けます。反抗的な気持ちの表し方は、子どもにより様々です。よく分かる形、見えにくい形といろいろです。例えば、友だち同士で親の悪口を言うの、もその一つではないでしょうか。いずれにしましても、時期が来れば自然と治まるものですので、あまり神経質にならずに見守っていきましょう。

担当  鈴木隆一(臨床心理士・元スクールカウンセラー) 質問・感想をお待ちしています。


一緒に子育て 61 いじめを考える

いじめについて、いじめをなくすについて、いじめ被害の子どもへの対応について等々様々な意見があります。特に、大津での中学生自殺以来、教育委員会や行政当局が力を入れ、対策が講じられています。新たな法令も作られ学校や教員、市民に示されています。

先日、市内小学校の講演会に招かれました。テーマはよくあります「発達障がいについて」でした。発達障がい児の特徴や保護者の方々のご苦労等を述べ、それぞれの対応について理解を求めます。子どもの特徴や障がいにあわせた接し方、サポートの仕方等を述べる時、果たして「ハウツーもの」をどれだけ分かっていただいても、その「ハウツー」を持続して取り組んでいただけるの、かふと疑問に思いました。方法が分かっても本腰を入れ、継続して取り組めるかどうかということです。

本腰を入れ、少々挫折(子どもへの取り組みではよくあることです)しても、継続して変わりなく続けて貰うのは方法の理解ではなく、発達障がいの子どもたちの「集団や人間関係の中での困り感」にどれだけ共感し、心の奥深くまで共鳴できるかではないかと思います。共感、共鳴感の深度が取り組みのエネルギーだと思います。

それと同じように、いじめの問題にしても、どれだけ体制や法令が整備されても、いじめ被害の子どもから訴えを聞いた大人(親や、教師)が、訴えてきた子どもの辛さにどれだけ共感し、共鳴するかによって、スピード感のある次に対策へ移れるかどうかに関係すると思います。

聞いた者が一人で抱え込むものではない、組織として取り組むはよく言われることですが、一番最初に子どもからの訴えを聞いた大人の感度が、今後の取り組みを左右するものです。

子どもは、自分の内面を言葉にして訴えるが苦手です。特にいじめ被害の子ども、立場の弱い子どもはそうです。時系列で正確に言葉にするのが苦手だ、ということも心にとめ、折角言ってくれた訴えを大事にしなければなりません。

ご意見、感想、質問がございましたら、HOMEのコンタクトかお問い合わせから送信下さい。臨床心理士・元スクールカウンセラー鈴木隆一


一緒に子育て 60 中学生への講話から 「進路を考える」

昨年12月、市内のある中学校3年生への講話を依頼されました。大人が相手でなく、約50分を集中して聞いて貰うためいつも苦慮します。それも体育館の床に座ったままですので、聞く方も大変だと思います。学校側が私に求める内容は、定期テストも終了しこれから本格的に進路を考えなければならない、という時期で生徒もいろいろストレスを感じているので、気持ちが落ち着き、前抜きに進路を考えるような話、ということでした。

私にとれば、言うは易く行うは難しの例えの通り内容です。たまたま依頼された時期にテレビを見ていますと、ウズベキスタンの女性が、お墓を掃除している映像が映りました。そのお墓は、第二次対戦で、当時のソ連に捕虜になり、強制労働で死去した日本兵のお墓でした。当時はウズベキスタンもソ連の国でした。

その女性に対しての取材の中で、とても興味深いものがありました。その女性は自分の祖母、母親とお墓の掃除を代々続けているそうです。確かにきれいに保たれていました。その女性の言うことは、祖母、母親から受け継いでいるそうです。

何で現地の人がそのように受け継いでまで掃除をするのか、というこですが捕虜の身で働く日本人の真面目さや、手を抜かない仕事ぶりに当時のウズベキスタンの人々は、感銘を受けたそうです。強制労働で完成させたのは、ナヴォイ劇場という名前でソ連国内でも指折りの劇場だったそうです。

首都タシケントにありますが、完成して何年後かに大地震に見舞われましたが、多くの建物が崩壊する中で、その劇場は被害がありませんでした。震災被害を受けた人々の避難所として貴重な建物になりました。多くの建物が壊れる中、日本人捕虜が建設した劇場が無事だったのです。それだけ丁寧に建てられたことを、改めてウズベキスタンの方々は感心されたと言うことです。ウズベキスタンの人々が自分の子どもに、「日本人のように真面目になりなさい」、といって子育てをするそうです。

私は、そのエピソードを織り交ぜて生徒に話をしました。このようなエピソードを交えるのは、聞く側に「閉塞感」より「開放感」を持つこと、君たち日本人、日本の文化で育った者は、先人が作り上げた業績を受け継いでいること、これらがいざという時に力が発揮されることを強調するためです。

講話を聞いてくれた生徒の感想文を紹介します。

鈴木さんのお話で、私の知らなかった日本人のすばらしい行為を学ぶことが出来ました。これからの未来を創っていく私たちに、先人のような行為が出来るのか、と考えると少し不安になります。今は思春期の私たちも、この人生の岐路呼ばれる今を、親にうざいとか嫌だとか思う時もあるけれど、ちゃんと自分のことは自分で考え、自立(自律)する大人になり、これからの社会、これからの未来、これからの日本を創る人になっていきたいです。とても充実した時間でした。有り難うございました。

このような感想文に接すると話しがいがあるというものです。私からも有り難うといいたいくらいです。


一緒に子育て 59 子どもの時間

時間は、大人も子どもも同じように流れますが、流れる速さ、遅さは違うのではないでしょうか。このようなことを強く感じるのは、以前勤めていた特別支援学校(当時養護学校)での経験があります。養護学校には、今でもそうでしょうが外部から参観者がよくあります。啓発の意味からも交流の意味からも、支障のない限り受け入れていました。

ある時、大人の方々の参観がありました。参観前の説明、参観後の意見交換や感想をお聞きすることもあります。その感想の中で多くの人が述べるのは「養護学校では、時間がゆっくり流れている」でした。外部から見たら、そのことがとても印象的であるようでした。

学校の何を見てそう感じられるのでしょうか。私が一番そのように感じるのは、子どもと教師のやりとり、コミュニケーションではないかと思います。コミュニケーションは、一方の側からの投げかけをもう一方が聴いて、その内容を理解して自分の考えや感想を表明して成り立ちます。ハンディのある子どもは、理解力表現力等が十分でなく、また語彙力も劣りますので、当然やりとりのスピードも遅くなります。

従いまして、大人はそれにあわせてゆっくりしなければ、コミュニケーションが成り立ちません。この他にも、子どもたちが外部の事象を視覚で捉える力も気になります。例えば、車から外の景色を見てそれを捉え理解するのと、歩いて捉えるのでは大きな差があります。歩いて捉える方が、明らかに正確に捉えることが出来ます。視覚で捉える力速さが成長すれば、車からでも十分でしょうが、その力が不十分なら車のスピードは速すぎます。

さて、これらのことはハンディのある子どもだけにいえることでしょうか。どんな子どもでも、聴く力、理解する力、感じる力、まとめる力、表現する力や速さをまちまちではあるはずです。私たちはコミュニケーションをする時、相手、子どものそれぞれの速さ、力を考慮しなければ、一方的に言葉をたたみかけるだけになるのではないでしょうか。子どものゆっくりした返答にイライラして、更にたたみかけるのでは、一層子どもを混乱に陥れます。実際このような場面をよく見かけます。

もう一呼吸間を置いて、子どもからの返球を待ちたいものです。


一緒に子育て 58 外ではいい子なのに、家では甘える

見出しのことは、子育て講演会等でよく受ける質問の一つです。幼稚園では確り返事が出来たり、着替えも早いのに、家では返事もええ加減で朝の着替えもぐずぐずして、つい大きな声で叱ってしまう。幼稚園児だけでなく大きくなっても、親は同じ悩みを持つようです。

私の近所に高校生の娘さんがおり、朝夕出会う度にちゃんと挨拶してくれ、清々しい気分になります。近所で挨拶も少ない中で本当に嬉しくなります。ある日、そのお父さんにお会いする機会があり、そのことを伝え誉めましたところ、お父さんの言うことは「先生、家ではさっぱりものも言いませんね」、とおっしゃいました。私は「外でそんだけ出来ている分、家では甘えているんですよ」「外で出来ているのだから、いずれ家でも出来ますよ」、と返事をしておきました。

それで、思い出すことがあります。教育相談をしている頃のケースです。小学校女子1年生の不登校の相談でした。その子は、1年生ですが家でお米を研いで、ご飯を炊くお手伝いをしています。年齢以上のお手伝いという印象がありました。ご飯炊きのほかにもさまざまなお手伝いがありました。お母さんは、ハードな仕事をされており、仕事人の自覚が高くいわゆるプロ意識の高い人でした。

その自分のポリシーを子どもさんにも求め、しつけの基準にされておられました。それらお手伝いが出来て当然、というお考えでした。従って、出来ても誉めてもらえることもなく、まして甘えることもなかったように覚えています。彼女の心の不充足感、甘えたいのに甘えられない分を不登校という形で訴えた、と考えました。

カウンセリングの中で、お母さんのその意識も肯定しつつ、子どもさんの心情も理解してもらうことで、徐々に学校復帰も出来るようになりました。

早い自立を求める中で、子どもに必要な依存(甘える)が、不足することがあります。自立には依存が必要です。自立と依存・甘えは矛盾するものでは決してありません。


一緒に子育て57 番外 御岳山噴火

日本は自然災害の多い国です。改めてそのことを思い知らされましたのが、9月末の御嶽山の噴火です。思い出すだけでも、広島の水害、兵庫県丹波や福知山の水害、近くでは長野県の地震と続いています。

御嶽山は、標高3067m、日本では数少ない3000mを越えた山で、登山や行楽に昔から人気の山です。夏には高山植物が咲き、雷鳥も姿を見せます。噴火した9月27日は、紅葉が見頃で、天気も穏やかで多くの登山者がいました。                          3000mを越えているといいながら、標高2180mまで車で行けるため、雪がつかない季節は今回のように多くの登山者が訪れます。夏でも、窪地には雪が溶けずに残り、流れ出る水は冷たく美味しいです。

実は私も過去7回登りました。単独が多いですが、登山の初心者を連れて行くことも何回かありました。冬もアイゼンとピッケルを使い登りました。従いまして、今回の噴火で多くの被害者が出たのも人ごとには思えません。報道される場所、王滝頂上、八丁ダルミ、剣が峰、それぞれの山小屋も鮮明に思い出されます。「山にいた人たちは、怖かったやろな」、「逃げるのに必死やったやろな」、と身が震えます。迫ってくる噴煙と噴石から、足元の悪い登山道を逃げるのです。

そんな中で、子どもや怪我をした人を思いやり、助け合いながら逃げたことが報道されました。また、自分のジャケットを寒がっている女の子に、貸し与え着せてあげた26歳の男性もいます。残念ながら、二人とも遺体で発見されました。                           天候が良ければ、昼間は軽い服装で過ごせますが、太陽が沈みますと、気温がグッと下がります。高い山で一番辛いのは寒さです。こんな状況では、自分のことで精一杯のはずです。私ならそんなことができたかなぁ、と思います。

大きな災害の度に、他者に感銘を与える当事者の話が、よく報道されますが今回もそのようなエピソードがありました。

残されたご遺族は、美談や感銘というとらえ方は出来ません。心からご冥福をお祈りいたします。また、来春雪が溶けたら再開される捜索で、行方不明の方々が一日も早くご遺族の元に帰られることを願います。


一緒に子育て 56 中学生への講話「いじめについて」その2 生徒からの質問 

先日の講話に対して生徒から感想文が寄せられ、そのいくつかを前回紹介しましたが、その中に私への質問もありました。今回はそのことに触れたいと思います。私は講話、講演等で書面で質問をいただいたら、必ず本人宛に書面で返事を書いて送ります。

質問1 2年生女子生徒「鈴木先生は、いじめられたら話しやすい友だちに聞いてもらって下さい。すごく楽になる、とおっしゃったけど、私は同じいじめられた状況にならないと、いじめられている人の気持ちは分からないと思います。もう少し詳しく教えて下さい」でした。

質問1への返事 この女子生徒は感性の豊かな持ち主です。返答に困る鋭い質問です。次のように答えました。「そうですね、同じ立場に立つと一番分かりやすいのは勿論です。従って、いじめの辛さも被害経験者が一番分かってくれるでしょう。しかし、もし君ならいじめ被害経験がなくても、いじめられている辛さを分かってあげようと、努力するはずです。100%分かるのは不可能かもしれませんが、訴えてきた友だちは一生懸命聞いてくれ、分かろうと努力してくれるくれる君に対して、感謝するはずです。うれしいと思ってくれるはずです。その結果気持ちが随分楽になるはずです」、と答えました。「友だちに話す」ことを勧めますのは、親や、先生には言いにくい中学生が多いからです。従って、友人に聞いて貰うことが一番手近です。「ピア・サポート」という言葉で説明します。場合によれば、先生や親のような大人に分かって貰うより、一番楽になるかも分かりません。

質問2 2年生女子生徒「いじめとおちょくりの差がよく分かりません」でした。

質問2への返事 私たち大人も、いじめ被害を訴えてきた子どもに、たいしたことはではない、それは遊び、からかいや、と返事することがあります。この返事ぐらい訴えてきた子どもの心と離れているものはありません。子ども同士の会話にもあるでしょう。私は次のように返事を書きました。「いじめではなく、遊びやからかい・おちょくりや、という会話がよくありますね。そう言われると本当にそうなのか、と思ってしまいますね。しかし、その判断は、おちょくられている、からかわれている人がするものです。その人が辛い気持ちやいやな気持ちになり、これはかなわんな、と思えばいじめになります。おちょくりやからかいも、対等な立場で行われているならまだしも、一人が複数の友人からされていたり、何回も執拗にくり返されるなら、明らかにいじめでと判断できます」、と答えました。

皆さんはどのような返事を書かれるでしょうか。

ご意見、感想、質問がございましたら、HOMEのコンタクトか、お問い合わせから送信して下さい。

臨床心理士・元スクールカウンセラー  鈴 木 隆 一


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